*長編小説* 森の記憶

いつか失われる記憶の中で愛し合い、求め合い、精一杯生きる人たちの物語

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 二人で甘利さんに石を払った後、涼は「ちょっとついて来い」と言って文ちゃんの元へ行き、ボールペンを借りると椎奈を森へ連れ出した。

「『岩』を少し貸してくれ」

 と言っていたので、行先はあそこだろう。椎奈が森へ来た日に、文ちゃんから森や石の説明を受けたあの岩のところだ。

 懐かしいその場所に着くと、涼は岩の傍らにどかっとあぐらをかいた。そして椎奈を見ると、自分の前に座るよう顎で示した。草を踏みしめて近づく。

 涼は着物の衿に手をかけると袖を抜き、上半身をさらした。続いて腕のさらしをほどき始める。

 鍛え抜かれた体を目の当たりにして赤面した。けれどすぐに、そのあまりにも現実離れした光景に目を奪われた。涼の体には無数の石が埋まっていた。両腕に納まりきらない石は、肩や胸にまでその範囲を広げている。たくさんの青い石の中に、赤や緑や白の石がぽつぽつと散らばっていた。

 椎奈は涼の前に導かれるように膝をついた。無意識に手を伸ばし、石を撫でるように手を滑らせる。

「綺麗」

 この一つ一つに、涼の森での歴史がつまっている気がした。どんな手段で得た石なのか。どんな気持ちで得た石なのか。触れることでそれを感じ取ろうとしたのかもしれない。食い入るように見つめる椎奈に、さらしをほどき終えて岩に放り投げた涼が、ボールペンを差し出してきた。

「数えてくれ。背中にまで石があって、俺じゃ数えらんねえ」

 はっと気づいてペンを受け取る。

 紫音に宣告されたあの数字。あといくつでそこに届くのか、それを知るためには、まずこの体にある石の数を数えなくてはならない。この場所に来たのも、明るい場所で石を数えるためだったのだ。

 とにかく膨大な量の石だ。椎奈は右腕から取りかかることにした。きちんと整列しているわけではなく、無秩序に並ぶ石を数えるのは思った以上に骨の折れる作業だった。印をつけながら数えていく。

 絶対に数え間違えるわけにはいかないと緊張しながら作業する椎奈に、涼はくすぐってえよと身をよじったり、でたらめな数字を羅列してきたりと邪魔ばかりしたが、思い切り睨みつけるとおとなしくなった。

 百個をこえたあたりから石を数える要領をつかみ、あとは一気に数えきった。

「二百九十九」

 大きく息をついてから、静かにその数を告げた。

 息をついたのは、もちろん作業に疲れたからだけじゃない。

 気がつくと、涙があふれていた。

 なんて数だろう。十か月もこの森にいて、こんなにもたくさんの数の青い石を集めてきた。投げ出したくなってもそれでも諦めずに、ただひたすら集めてきた石。一つ一つが愛おしくて仕方がなかった。

「お前、なんで泣いてんだよ」

「泣いてない」

 鼻をずっとすすって、手の甲で涙をぬぐう。

「あと十六個か……」

 涼が呟いた。その声は、明らかにその数字が示す意味に気づいていないような、ぼんやりとしたものだった。

「そうだよ。十六個だよ! 意味わかってる!?」

 問いかける口調が思わずきつくなった。そうなのだ。十六個だ。

 椎奈の腕には今、青い石が十八個ある。涼のために青い石を集めてきたことを伝えてから、さらに増えた。涼と椎奈の石を合わせれば、涼は今にでも生還できる。

 椎奈が袖をめくろうとすると、涼が手を伸ばしてきて止めた。

「お前、俺の体の赤い石、数えろ」

「赤い石……どうして」

「いいから。早く」

 青い石に比べ、赤い石を数えることははるかにたやすかった。赤い石は、村の共有財産を預かっている分を除いて、十四個あった。

「お前今赤い石いくつ持ってる」

「に……二十六個」

「二人合わせたら四十か。あと三個だな」

「なに?」

「なにって。俺の赤い石、お前にやるよ。当然だろ。あとの三個は適当に誰かと交換するか」

 涼は、椎奈のための赤い石を揃える方法を思案しているようだった。涼の体にある緑や白の石。そして椎奈の体に余ることになる二つの青い石。これらを赤い石に交換すれば、椎奈に必要な赤い石も揃えることができる。紫音の力によって石の交換が活性化している今の村でなら、いつも以上に石の交換は簡単なはずだ。

「いや、でもそうだな……」

 それなのに涼は、こんなふうに言った。

「給料もあるし、もう数日、村に留まるか」

「な、なに悠長なこと言ってんの! 一刻も早く生還するべきだよ! だってもう、ここに必要な青い石は揃ってるんだよ!」

 てっきり今すぐとは言わないまでも、今日中にでも生還するのだと思っていた。

 だって……

「そんなこと言ってる間に……死んじゃったらどうするの」

 石を集めきる前に死んでしまうのが怖いと震えていた涼。せっかく石が揃ったのに、どうして一刻も早く生還しようとしないのか理解できない。

 それなのに当の本人は表情一つ変えず、「ま、それもアリだろ」とあっけらかんと答えた。

「な……何言ってるの」

 眉間に皺を寄せた時だった。

 

 

 

 

 

つづき

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