*長編小説* 森の記憶

いつか失われる記憶の中で愛し合い、求め合い、精一杯生きる人たちの物語

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*  *  * 

 

――最悪だ……

 

 椎奈は激しく後悔していた。

 薄暗い中、手で顔を覆い、泣きたくなる気持ちを吐き出すようにため息をついた。こんなことになるなんて。運命なんて簡単に信じた自分を呪いたくなる。本当にバカだった。

――千八百円も無駄にしてしまった……

 

 

 トラックに撥ねられて意識不明となった椎奈は、その年の初雪が降ったクリスマスの日に意識を取り戻した。丸二十日間、意識を失っていたことになる。

 目を覚ますと、疲れ切った顔をした両親が椎奈を見下ろしていた。

「お父さん……お母さん……」

 かすれた声で呼びかけると、母親はその場に泣き崩れた。椎奈の顔を何度も撫でて、病院に駆けつけた時には生きた心地がしなかったのよ、と何度も繰り返した。医師の懸命な処置の甲斐あって一命は取りとめたが、「もういつ意識を取り戻してもおかしくない状況です」と言われたにもかかわらず、椎奈は一向に目を覚ます気配がなく、母親は身を裂かれるような思いで毎日看病してくれていたそうだ。久しぶりに見たその姿はひどくやつれていて、死を簡単に受け入れようとした自分を叩き潰したくなるほど恥ずかしく思った。

 そのためだろうか。意識を取り戻してからの椎奈は、死を望む気持ちから嘘のように解放されていた。自分でも信じられないほど、生きたいという気持ちで満たされていた。

 けれど代わりに、胸にはぽっかりと大きな穴があいていた。死にたいという気持ちとともに何か大切なものまで失ってしまったような、言いようのない喪失感がそこにはあった。

 意識を取り戻してから三か月が経とうとしていた。入院と自宅療養を経て、先月からは仕事にも復帰した。担任は外されていた。今年度は副担任として勤め、四月から再び担任を持たせてもらえることになった。

 天王寺にはいつの間にか恋人ができていた。まさかとは思いながらも念の為、これが喪失感の原因かもしれないと考えてはみた。けれど強い確信をもって、「それはない」という結論に至った。

 幸い事故の後遺症のようなものはなかった。いくら考えても思い当たることのない胸の喪失感を除けば、とても順調な毎日だった。

 

 その日は病院の検査のために、有給を取っていた。

 思いのほか早く終わったため、乗り換えのターミナル駅で降り、隣接するデパートで誕生日が近い同僚のためにフレグランスを買った。ボディクリームがもうすぐ無くなることを思い出して、口コミサイトで話題になっていた物を買ってみた。

 最近またスキンケアが楽しい。ついでに新色のルージュを一本衝動買いした後、気になっていたカフェに行こうと繁華街に出ると、あるポスターが目に留まった。映画館の入り口に並ぶポスターの一番左端。上には「本日最終日」と書かれた紙が貼られている。

 椎奈がトラックに轢かれる直前に気を取られたビラの映画のポスターだ。七人の侍が主人公の、お世辞にも深い感銘は受けられそうにない軽そうな映画だ。普段なら絶対に観ようとは思わないだろう。けれどなぜか予感がした。この映画にあの喪失感の正体を探るヒントがある。上映時間を調べるとちょうどあと五分で上映開始という時刻だった。運命的なものを感じた。

 

 

 

 

 

つづき

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