*長編小説* 森の記憶

いつか失われる記憶の中で愛し合い、求め合い、精一杯生きる人たちの物語

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 身を乗り出して思い切り抱きしめた。背中に手が回されて、きつく抱き返される。

 もう体は、すっかり涼の感触を覚えていた。

 涼の胸に、腕に、抱きしめてくれる力強さに、その温度に、匂いに、すっかりなじんでいた。それなのに忘れてしまうなんて。

 涼が椎奈の背中と頭を優しく抱え、耳元に鼻先をすりつける。その吐く息すらもったいなくて、夢中で唇を奪った。

「何も考えられなくして。忘れたくないとか全部、考えられなくして」

「お前それ……すげえ殺し文句だぞ」

 体重をかけられ、地面に押し倒された。思わず目を閉じると、涙が頬に押し出された。

「一回しかできねえからな。やりてえことは全部やる。昨日までみたいに遠慮はしねえから覚悟しろよ」

 低い声と自分を見下ろす目に、背中にぞくりと電気が走った。

 昨日までも遠慮していたとは思えないのに一体何をされるのかと不安がわいたのは一瞬で、すぐに意識は愛しい男がもたらす快感の波に飲み込まれた。

 涼は言葉通りやりたい放題だった。遠慮なんて本当にかけらもなくて、些細な抵抗はたやすく封じられ、待ってとかやめてとかいやという言葉は一つも聞き入れてはもらえなかった。

 あぐらをかいた涼に抱えられるようにしてようやくつながった時にはもう体力なんて少しも残っていなくて、涼の体にもたれかかって身を預けてしまう状態だった。

「おい、こっからだろうが。しっかりしろ」

 揺さぶられて思わず反応してしまう以外、自分から動くなんてことなんてまるでできない。

 体勢が変わって、地面に寝かされる。抱き寄せた体も自分の体も汗だくだ。

「涼、タフすぎ」

 喘ぎすぎて声まで枯れていた。

「でも今までしたセックスの中で、一番いい」

 最初は涼の姿を少しでも目に焼き付けたくて、キスの時ですら目を閉じないように頑張っていた。けれど今はもう、自分が目を閉じているのか開けているのかすらよくわからない。こんなにも我を忘れてしまうセックスは初めてだった。

「当たり前だろ。愛情のケタがちがうからな」

 乱れた髪を梳いてくれながら涼が笑う。

「そこまで言うなら、もう好きだって言ってくれたらいいのに」

 その言葉で、ゆるやかに動いていた涼が動きを止めた。

 無表情で見下ろしてくる瞳。

 涼は体を倒すと、椎奈の耳に唇を近づけた。

「……」

 耳元で囁かれる。

「……」

 言葉を変えて、もう一度。

「……」

 さらにもう一度囁かれた時、椎奈は唐突にその時を迎えた。

 自分が体の中の涼を思い切り締め上げるのがわかった。

「な、お前、ちょっ、待てっ!」

 涼が体を起こす。もう何も考えられなくて、目の前で慌てている男がただおかしい。

「くそっ!」

 この世のものとは思えないほど美しい男が頬を歪めて悪態をつき、椎奈の上でかすれた声をもらして体をこわばらせた。汗がぽたりと頬に落ちてくる。無意識に口を開いて舌をのぞかせると、荒々しく噛みつかれた。

 目を閉じた。

 体が熱くて発光するのではないかと思った。

 まぶたの裏に赤と青の小さな光が無数に浮かんでいた。

 なんて綺麗なんだろう。

 そう思ったのが、最後だった。

 

 

 

 

つづき

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