*長編小説* 森の記憶

いつか失われる記憶の中で愛し合い、求め合い、精一杯生きる人たちの物語

2021-03-01から1ヶ月間の記事一覧

目次

******************************************************************** *あらすじ* 生死を彷徨う者が迷い込んだのは 石を集めると生還するという不思議な森―― 独自の秩序を保ちながら果てしなく続く森の中で 石を巡って傷つけ合い、騙し合い、支え合う者た…

84【最終話】

「波多野……涼さん」 涼、と口にした刹那、息が止まった。心臓がどくんどくんと何度も大きく跳ねる。 椎奈の声に、波多野も眉間に皺を寄せた。記憶をたぐりよせるように椎奈を見る。 「お前の名前は」 思わずムッとした。椎奈は男にお前と呼ばれることが好き…

83

チケットを購入し劇場に入ると、最終日だということを差し引いてもあまりにも閑散としていた。百人ほど収容できる劇場に、客は椎奈を含めて五人しかいない。椎奈は劇場右手の一番後ろの席に腰を下ろした。 この映画がもう、目も当てられない内容だった。 主…

82

* * * ――最悪だ…… 椎奈は激しく後悔していた。 薄暗い中、手で顔を覆い、泣きたくなる気持ちを吐き出すようにため息をついた。こんなことになるなんて。運命なんて簡単に信じた自分を呪いたくなる。本当にバカだった。 ――千八百円も無駄にしてしまった…… …

81

身を乗り出して思い切り抱きしめた。背中に手が回されて、きつく抱き返される。 もう体は、すっかり涼の感触を覚えていた。 涼の胸に、腕に、抱きしめてくれる力強さに、その温度に、匂いに、すっかりなじんでいた。それなのに忘れてしまうなんて。 涼が椎奈…

80

ミドリと加山が生還した場所に、涼と椎奈はいた。椎奈の希望で、最後の場所はここを選んだ。ミドリの鉢巻が結ばれた木に背を預け、二人で並んで腰を下ろす。耳が痛いほど静かで、自分の鼓動と触れたところから伝わる涼の鼓動だけが、時が止まっているわけで…

79

涼と椎奈にとっての最後の朝会が始まった。この日は十九歳以上の配給もあったため、生還者が続出した。椎奈や涼のように、生還に必要な石の数を知った人が余分な石を共有財産に提供することが多く、配給が不足なく行き渡ったことも一因だったかもしれない。…

78

その足で、大河の元に向かった。 実は受注していた鉢巻の受け渡しで、思わぬ誤算があったのだ。二人のうち一人が、朱雀だった。当然赤い石では払ってもらえない。 白い石で受け取ったので、大河の持っている赤い石と交換してもらおうと思いついた。朝会で共…

77

逢瀬を重ねる以外に、残りの三日間でやるべきことは意外にもたくさんあった。 時間を見つけては世話になった人と話をした。陣さん、甘利さん、雪乃さん、文ちゃん、椎奈が通りかかると必ず声をかけてくれた人たち。みんなと思い出を語り合い、礼を言って別れ…

76

結局涼と椎奈は、涼の体に二百九十九個の青い石と十四個の赤い石、椎奈の体に二十六個の赤い石と十二個の青い石を残して、その他の石を全て共有財産へ提供した。 二人で生還の日を、三日後のクリスマスの日に決めた。それまでに涼は給料と配給合わせて四個の…

75

突然涼がとてつもなく強い力で椎奈を引き寄せ、きつく胸に抱いたかと思うと、驚いて少し開いてしまった唇に獣みたいに噛みついてきた。 キスをされているのだと気づいた時には、すでに舌の侵入を許していた。 「えっ、ちょっ、待っ……」 何の心の準備もできて…

74

二人で甘利さんに石を払った後、涼は「ちょっとついて来い」と言って文ちゃんの元へ行き、ボールペンを借りると椎奈を森へ連れ出した。 「『岩』を少し貸してくれ」 と言っていたので、行先はあそこだろう。椎奈が森へ来た日に、文ちゃんから森や石の説明を…

73

すぐに紫音が涼に謝りに来たのだとわかった。朝会でみんなの前で謝罪はしたものの、椎奈は紫音に、同意なく石の数を教えてしまった人、そしてひどいことを言った人に対して直接謝るよう話していた。 自分がいては謝りにくいだろうと、立ち上がってその場を去…

72

「私……石を払った方がいいかな」 涼と椎奈はいつもの傾斜に並んで腰を下ろし、まるで芸能人を囲む野次馬のように紫音に群がる人々を遠くから眺めていた。 「なんのことだ?」 「ほら私、紫音から必要な石の数聞いたからさ。石、払った方がいいかなと思って」…

71

* * * 雄一郎が亡くなってから四日が過ぎた。元の世界ではもうすぐ年が明けようとしている。 この四日の間に、村には大きな変化があった。 まず大河が朝会でモニュメント作りを提案した。木に名前を刻んで、自分たちがここにいたことを残したいと訴えてい…

70

雄一郎さんが力を持っていたという事実も、椎奈さんを想っていた気持ちも、俺だけが知るものになった。俺が森からいなくなってしまえば、それはもう誰も知らないものになる。まるで最初から何もなかったみたいに。 けれどよく考えたら、世の中というのはそう…

69

ふと目を上げると、椎奈さんが村を出て行くのが見えた。俺は立ち上がって、ふらふらその後を追った。椎奈さんに会ったところでどうするつもりなのか自分でもわからなかったけれど、体は勝手に雄一郎さんの想い人の後を追っていた。 なんと声をかけていいかわ…

68

「雄一郎!」 その時、大泉さんが声をかけてきた。隣には見かけない黄色のパーカーを着た男を連れている。文ちゃんが呼んでいると聞き、雄一郎さんは立ち上がった。そして俺を見るといつもの笑顔で「大河も一緒に来い」と呼んでくれた。 俺は喜びを隠しきれ…

67

俺の苛立ちは日々募る一方だった。雄一郎さんの態度は頑なだし、わー君はなかなか生還しない。そして雄一郎さんが毎日見つめる椎奈さんの隣には、いつも侍の姿がある。そのどれもが俺の心をねじるみたいに不快にした。 そんなふうに俺が雄一郎さんの力を知っ…

66

「アキラが亡くなった時の涼の落ち込みようって言ったらなかった」 雄一郎さんは言葉を続けた。 「大事に思っていた子を失って、もしかしたらこのまま石を集める気力を失って死んでしまうんじゃないかって心配した。でもちょうど椎奈ちゃんがやって来て、涼…

65

けれど考えてみた。もしもそんな力が実在したらどんなにいいだろう。自分に必要な石の数がわかるなんて夢みたいだ。 この森に来て石の話を聞いた人は必ず、自分はいくつ石を集めれば生還できるのか、と訊く。当然だ。知りたいに決まっている。何か買おうとし…

64

森の巡回にも慣れてきたある日、不思議な出来事が起きた。 風が吹いて、おむつ姿の赤ん坊を見つけた時のことだ。赤ん坊の額には、その目よりもうんと大きな赤い石が光っていた。俺は正直なところ、こんなに小さな子を見たのは物心ついてから初めてで、動揺し…

63

* * * 雄一郎さんが死んだ。 最後に俺の名前を呼んで、大好きだった雄一郎さんが死んだ。 高校三年生の秋だった。俺は春からの就職先も決まり、念願だった車の免許も手に入れて浮かれまくっていた。 十一月の最後の月曜日は創立記念日で休みだった。俺は…

62

足もとを見つめ、草を踏みしめる音を楽しみながら歩いていると、「おい」と聞き慣れた声がした。目を上げると、腕を組んだ涼が少し先の木に斜めにもたれかかっている。 「勝手にいなくなるな。一人で森に出るなんて何考えてる」 探しに来てくれたのだろうか…

61

「ある人が山奥で遭難した。やがて夜になり、あたりは真っ暗になった。どちらに進んだらいいのかもわからず絶望していると、遠くに一つの明かりが見えた。その人はその明かりをたよりに下山して助かったの。きっとどこかの民家の明かりだったんだろうね。そ…

60

「僕のこの力は……村には必要ない?」 少年がぽつりと呟いた。結び目から目を離さず答える。 「必要か必要でないかで言ったら、必要ないだろうね」 蜂蜜色の頭がゆっくりとうなだれた。 「そもそもこの世に、どうしても必要なものなんてないんじゃないかな。…

59

村に戻ると文ちゃんが中心となって事の収拾にあたっていた。少年がもたらした混乱だけでなく、その後続けざまに雄一郎が亡くなったことで、村はまだ収拾がつかない状態だった。この一連の騒動で生還した人は大泉さんを含め九名。少年に石の数を宣告された人…

58

懸命に走ると、視界の奥に消えそうなほど小さく白い影が見えた。涼の足は信じられないほど速くて、いくら走っても追いつけない。白く心もとない影が黒い森に溶けてしまいそうで、椎奈は思わず大声で叫んだ。 「涼っ!」 悲鳴みたいなその声は、涼の足の動き…

57

椎奈の全身に鳥肌が立った。ざらりとした大きな舌に舐められたような薄気味の悪い感覚。心臓が、とくとくと警告を発する。 椎奈は隣に立つ雄一郎に違和感を覚えた。そして目にした光景に目を疑う。震えながら言葉を発した。 「雄一郎さんの、額の石が……光っ…

56

村では、少年に石の数を宣告された者が大泉さんの他に十人ほどおり、そのうちの四人がその言葉に従って石を交換して生還したそうだ。 生還は本来喜ばしいことにもかかわらず、明るい表情を浮かべている者は一人もいない。 少年がそばにやってくると、困惑と…