*長編小説* 森の記憶

いつか失われる記憶の中で愛し合い、求め合い、精一杯生きる人たちの物語

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「アキラが亡くなった時の涼の落ち込みようって言ったらなかった」

 雄一郎さんは言葉を続けた。

「大事に思っていた子を失って、もしかしたらこのまま石を集める気力を失って死んでしまうんじゃないかって心配した。でもちょうど椎奈ちゃんがやって来て、涼のやつ最近またよく笑うようになっただろ。俺、すごくほっとしてるんだ」

 珍しく早口で饒舌に語っていた。きっと、さっき見た光景を頭から振り払おうと必死だったんだろう。

 だからきっと、口を滑らせたのだ。

「でも、もし椎奈ちゃんが先に生還してしまったらって考えると怖いけどな。椎奈ちゃんは四十三個で、涼が――個だろ。だから涼の手持ちの数次第では……」

 でも俺は、すぐにはその言葉の意味に気がつかなかった。なぜならその数字は、そうだと認識するにはあまりにも大きな数字だったから。何を言っているのかな、と首をかしげる俺の前で、雄一郎さんは自分の失言に気づき、ハッと息を飲んだ。そして俺の顔をそろりと伺うと「き、聞いた?」と口の端をひきつらせた。

 俺はその反応で、ようやくその数字が生還に必要な石の数だとわかった。

「き、聞いちゃいました」

 雄一郎さんは「あーしまった!」と叫んで、頭を抱えた。

「やっぱり石の数がわかるんじゃないっすか! どうして内緒にしてたんすか!」

「だって言えば大河が自分の石の数を知りたがると思って」

「知りたいに決まってるじゃないっすか! 教えてくださいよ」

「だめ。俺は石の数は誰にも教えないって決めてるんだ」

「なんでっすか!」

 俺が詰め寄ると、雄一郎さんは俺の頭の上をちらりと見た。それは雄一郎さんがよくする仕草だった。雄一郎さんは人と話す時よくその人の頭の上を見る。俺は雄一郎さんがシャイだから、人と目を合わせることが苦手なんだと思っていた。でもちがう。

「ここに……見えるんすね」

 俺は手でそこを示した。雄一郎さんはあわてて目を逸らした。

「すごいじゃないっすか! みんなに教えてあげましょうよ!」

「だめだ。このことは絶対に誰にも言うなよ」

「なんで! これって、本当にすごい力なんすよ!」

 俺は自分の持論をまくし立てた。自分に必要な石の数がわかれば、どんなにみんなの気持ちが軽くなるか、村にどれほどの利益をもたらすか。けれど雄一郎さんは「俺は使わない」の一点張りだった。

 俺は来る日も来る日も雄一郎さんを説得した。けれど雄一郎さんの態度は頑なだった。

「せっかくそんなにすごい力を持っているのに、使わなきゃもったいなくないっすか。その力で救える命があるんすよ」

 雄一郎さんの力を知ってから、俺は朝会で死亡者報告がなされる度にいたたまれない気持ちになっていた。その人は、もしかしたらあと一つで生還できたんじゃないだろうか。そのことを知っていたら、すぐにでも手元の石を交換して生還できたんじゃないだろうか。そう考えると、力を無駄に腐らせている雄一郎さんが救える命を見捨てているような気持ちにすらなっていた。

「そうかもしれないな。でも、この力のせいで失われる命も……あるかもしれないだろ」

「どういうことっすか」

 雄一郎さんは困ったように笑うだけで、詳しくは話してくれなかった。

「この力はもちろん大河の言うように誰かを救うかもしれない。でも一方で誰かを傷つけてしまうかもしれない。そんな可能性がある以上、怖くて使えないよ」

 力のせいで命が失われたり、誰かが傷つくような事態を、俺は思いつくことができなかった。雄一郎さんに訊いても詳しく話してくれないし、文ちゃんあたりに相談したいと思ったけれど、そのためにはこの力の存在を告白しなくてはならない。俺は八方ふさがりだった。どうしたら雄一郎さんに力を使わせることができるのか、途方に暮れていた。

 それでも俺は一人で懸命に考えた。誰かを傷つける「可能性」があるという理由で力を使いたがらないのであれば、その可能性を極力小さくしてやればいいと思ったのだ。

 懸命に考えるうちに、俺は一つのことに気づいた。雄一郎さんは怖くて使えないと言っているくせに、森で何度もその力で人を生還させた。きっと一人で森に出ていた頃から、ずっとそういうふうにしてきたんだろう。つまり厳密には、力を使いたくないんじゃなくて、力を持っていることを人に知られたくないのだ。その力で誰かを傷つけてしまって、その責任を取らされることが怖いんだろうか。だから誰にも知られない森でだけ、力を使っているんだろうか。俺の予想は正しい気がした。

 そう考えるにつれ、俺は今まで優しいと思っていた雄一郎さんが臆病な男に思えてきた。誰かを傷つけたくないという気持ちは、その人を思いやる優しさだけれど、同時に自分のせいで傷つく姿を見たくない、責められなくないという自分に対する防衛でもある。

 そもそも一人の人をも傷つけないなんてことが、この世にありえるのだろうか。百歩譲って雄一郎さんの力で傷つく人がいるとしても、それはある程度仕方のないことじゃないだろうか。それなのに悪い面にばかり目を奪われて、人の役に立つことに力を使おうとしない雄一郎さんの態度に、俺は次第に苛立つようになった。

「使い方がわからないなら、みんなで考えましょうよ。今のままじゃ、せっかく与えられた力も、無いのと一緒っすよ!」

 力のことをみんなに話そうと俺は何度も言った。素晴らしい力がその活躍の場を与えられないのは見ていられなかった。文ちゃんあたりなら上手に使ってくれるんじゃないかと思った。

「無いのと一緒か。ははっ。いっそ無ければよかったな。無ければこんなに悩むこともなかったのに」

 雄一郎さんのそんな考え方は、俺の中の完璧だった雄一郎さん像をぼろぼろと崩していった。

 

 

 

 

つづき

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