*長編小説* 森の記憶

いつか失われる記憶の中で愛し合い、求め合い、精一杯生きる人たちの物語

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 けれど考えてみた。もしもそんな力が実在したらどんなにいいだろう。自分に必要な石の数がわかるなんて夢みたいだ。

 この森に来て石の話を聞いた人は必ず、自分はいくつ石を集めれば生還できるのか、と訊く。当然だ。知りたいに決まっている。何か買おうとして、これいくらですかと尋ねるのと同じくらい当然の流れだ。俺だって知りたい。毎日石を飲む度に今日こそ生還できるだろうかと緊張しなくて済むし、何より知らないということが嫌なのだ。誰だって、トイレットペーパーホルダーに残っているペーパーの量がわからなければ不安だろう。思い切り使うこともできないし、買い足しておくかの判断もつかない。それと同じだ。知らなければ何の心の準備もできない。それは辛い。

 それにこの力は人の心を救うだけじゃない。村にも多大な利益ももたらす可能性を秘めていることに鋭い俺は気づいていたのだ。

 俺は村の人たちが体に持っている、生還とは関係ない色の石のことがずっと気になっていた。なんでみんなそんなものを持っているんだ。全て自分の色の石に交換してしまえばいいじゃないかと思っていた。けれどすぐに、ある感情がそれにストップをかけていることに気づいた。それは、自分がいつまでこの森にいるのかわからないという不安だ。すぐに生還できるかもしれないが、できないかもしれない。そうであれば、ある程度自由に取り出せる石を持っていないと、村での暮らしがひどく単調なものになってしまうのだ。

 村では一日中様々なことで石が取引されている。トランプを借りたり、ギャンブルをしたり、肩をもんでもらったり、鉢巻を買ったり。逆に言うと、自由に出し入れできる石を持っていなければ、村では何をするにも不自由する。石を持っていないと、することがない。この森で殺されることの次に恐ろしいのは、退屈だ。だから人々は、みんな手元の石を使い切らない。

 けれどあの力があれば万事解決だ。自分があといくつで生還できるか知れば、きっとみんな今まで以上に手元の石を交換するようになるだろう。今よりも絶対に生還する人の数が増える。こんなすごいことってあるだろうか。

 でも、そんな力ないのだ。夢物語なのだ。ないものは仕方がない。

 最初からないと思っていればがっかりすることもなかったろうに、一瞬でもあるのではないかと思ってしまったばかりに、俺はひどく落胆した。

 十二月に入り、俺の村での生活も一週間以上が過ぎた頃、俺は初めて新人を発見した。朝会の最中に風が吹き、俺と雄一郎さんが森に出た。なかなか見つからずに焦っていると、ようやく高い草の陰に男の子が座っているのを見つけた。小さくてなかなか見つからなかったわけだ。初めて自分で見つけた新人に、俺は自分が一人前になったような気がして興奮した。しかも男の子は黄龍だった。

 その子は、わー君と名付けられた。俺は何としてもわー君を生還させようという使命感に燃えていた。黄龍石は滅多に手に入らないし、幼い子どもは早く死んでしまうことが多い。それでも絶対に生還させてやるのだ。体に緊張感がみなぎった。この仕事にやりがいを感じ始めていた。

 俺にとって特別な日となったわー君が現れた日は、雄一郎さんにとっても特別な日となった。椎奈さんという女性が村にやってきたのだ。椎奈さんは綺麗で気さくで明るくて、村のみんなから好かれていた。あの侍すら、椎奈さんには態度がやわらかかった。

 雄一郎さんも例外ではなかった。すぐに椎奈さんを目で追うようになった。椎奈さんと話をする時の雄一郎さんはすごく嬉しそうで、見えない尻尾がぶんぶん音を立てているみたいだった。

「雄一郎さん、椎奈さんのこと好きっすよね」

 ずばり指摘してやると、「そんなんじゃない」と全力で否定するのが面白かった。いい年をして、中学生みたいにわかりやすい。

「告白したらいいじゃないっすか」

 肘でつついてそう言うと、「大人をからかうんじゃないよ」と真っ赤な顔で俺の髪をぐしゃぐしゃにかき回した。

 そんなある日森を巡回中に、俺は顔面を何かに強打した。それは前を歩いていた雄一郎さんの背中だった。

「突然立ち止ったりして、どうしたんすか?」

 痛む鼻を押さえながら顔を覗き込むと、雄一郎さんは真っ青な顔で一点を凝視していた。視線の先を辿り、目を疑う。遠くからでもそれが何なのか、すぐにわかった。

 椎奈さんと侍が抱き合っていた。

 雄一郎さんは勢いよく踵を返すと、早足で村の方へと歩き出した。俺はあわてて後を追った。

「あれは、その……そういうあれとはちがうと思いますよ」

 自分でも何を言っているのかよくわからなかった。それでも、とにかく励まさなければと思いつくままにまくし立てた。

 あれは、きっと何かわけがあるんすよ。倒れたところを支えたとか、悩んでいるのを力づけていたとか。別にいちゃついていたとかじゃないと思いますよ。だってあんながさつで思いやりのかけらもない侍のことを椎奈さんが好きになるわけがないじゃないっすか。

 すると雄一郎さんが唐突に立ち止り、「よかったよ」と呟いた。

「何がっすか」

「涼のそばに、椎奈ちゃんがいてくれて」

「は?」

「涼は……もう九か月以上も森にいる。それなのにまだ生還しない。その苦しみが俺には痛いほどわかる。自分はいつ生還できるのか。果たして本当に生還できるのか。半年の俺ですら時々何もかも投げ出したくなるっていうのに、涼の苦しみは一体どれほどかと思うよ。そんな涼を椎奈ちゃんが支えてくれているのなら、よかったよ」

 雄一郎さんは薄く笑った。

 俺にはその言葉は、雄一郎さんにも支えてくれる人が欲しいと訴えているようにしか聞こえなかった。その気持ちを無理に押し隠して、侍を気遣うような発言をする雄一郎さんが理解できなかった。

 

 

 

 

 

つづき

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