*長編小説* 森の記憶

いつか失われる記憶の中で愛し合い、求め合い、精一杯生きる人たちの物語

2021-03-04から1日間の記事一覧

40

誰一人として口を開くことなく、薄暗い森を歩いた。不自然に静まり返った森に、四人の足音だけが響く。 やがて涼が立ち止まり、木を背にして腰を下ろした。片足を立てて腕を乗せる。その姿は限界まで膨らんだ風船のように、ほんのわずかな刺激で爆発してしま…

39

翌日の朝会で、椎奈は前日の自分の不甲斐なさを激しく後悔することになった。 十二月十日の朝会は、いつも通り穏やかに始まった。五の倍数の日の朝会では、十九歳以上の大人にも配給がある。共有財産の石の数次第では全員に行き渡らないこともあるが、基本的…

38

頼まれている鉢巻を作らなくてはいけないと思いながらも、何も手につかずぼんやりと村を眺めていると、ミドリがそばに寄って来た。ミドリには村に来た初日から懐かれていた。屈託のない笑顔であれこれ話しかけてくるミドリは、妹みたいでかわいかった。 「椎…

37

涼が本気で加山に村を出て行けと言ったわけではないことくらいわかっていた。けれど頭と心は別だった。 自分が村を出て行けと言われたように思えた衝撃は、今も椎奈の心臓を激しく収縮させていた。 自分がたまらなく恥ずかしかった。そして自分のしている鉢…

36

「てめえ何で配給受け取らねえんだ」 涼が静かな声で話し出した。 肘まで捲り上げられたチェックのネルシャツからのぞく加山の細い腕には、緑の石だけが埋まっていた。加山が時々細かく震えているのか、石は思い出したように光を映す場所を変える。俯いた顔…

35

椎奈の鉢巻は村の圧倒的な支持を得た。特に女性は我先にと依頼を寄せ、椎奈は製作にてんてこ舞いだった。 大河、文ちゃん、涼のものの他に、これまでに五本の鉢巻を完成させた。鉢巻は緑二個、赤二個、白一個、青三個の石へと変わった。そのうち緑一個は雪乃…

34

鉢巻製作の拠点に戻って物思いにふけっていると、「おい」と後ろから声がした。振り返ると涼だった。涼の声は低くて静かなのによく通る。本当は振り返らなくても声の主はわかっていた。 「あの人しゃべりっぱなしだったろ」 涼は椎奈の隣に腰を下ろした。特…

33

「だからね、初めのうちはみんなにマッサージをして回っていた。もちろん石なんかもらわずに無料サービスよ。そうしたらね、また涼くんがやって来て『何かを提供したら対価として石を受け取れ』って怖い顔で言うの。私、腹が立っちゃって『私が石を受け取っ…

32

涼の様子が気になったが、ともかく言葉に従って雪乃さんに会いに行くことにした。 黄龍の女性はたしか、朝会の時に前にいたはずだ。その記憶を頼りに、目当ての女性を見つけた。「雪乃さんですか?」と声をかけると、女性はふくよかな丸い顔をますます丸くす…

31

村の外れの傾斜が緩やかな場所を、鉢巻製作の拠点にすることにした。針を扱うのであまり人のいないところにしたかったし、そこが村の中でもとりわけ日当たりがいいように見えたからだ。 椎奈はまず自分の鉢巻を作り始めた。裁縫セットには鼻毛を切るのにも苦…