*長編小説* 森の記憶

いつか失われる記憶の中で愛し合い、求め合い、精一杯生きる人たちの物語

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「だからね、初めのうちはみんなにマッサージをして回っていた。もちろん石なんかもらわずに無料サービスよ。そうしたらね、また涼くんがやって来て『何かを提供したら対価として石を受け取れ』って怖い顔で言うの。私、腹が立っちゃって『私が石を受け取ったところでどうするのよ!かえって辛いってことがわからないの!?』って怒鳴っちゃった。今思えば半分は八つ当たりだったんだけどね。でも涼くんも悪いと思わない?年上にそんな口のきき方」

 雪乃さんの口調は怒っていたが、顔は笑っていた。

「涼くんは私が怒っても少しもひるむことなく『いいか。何が大切かよく考えろ。村の中でより多くの石を回して、より多くの人に生還のチャンスを与えるためにはどうすればいいか。自分のことだけ考えるのはガキのやることだ。無駄に年食ってんでなければ、その経験を活かして村全体のことを考えろ』って言ったわ。ひどくない? この、言、い、方!言っていることはもっともだけど、腹が立って仕方がなかったわ」

 雪乃さんはその時の怒りを思い出したのか、指先にぐっと力を込めた。たしかに涼の言い方はひどい。多少脚色されている可能性は否定できないけれど、さっきの椎奈に対する態度を見るとあながち言い過ぎでもないと思う。それでもその言葉の内容は、目から鱗が落ちるほど椎奈の心に響いた。

 村の中でより多くの石を回して、より多くの人に生還のチャンスを与える。

 さっき椎奈は大河から緑の石を受け取ることを拒んだ。あのまま受け取らなければ、石は大河の元に留まっただろう。しかし実際には椎奈が受け取り、そしてその石は今雪乃さんに渡ろうとしている。その石がさらに別の人に渡れば、その人を生還させるかもしれない。

 視野が狭かった自分を反省した。涼の言う通りだ。配給をもらっている大河から石をもらうことを躊躇し、結果として村の中で石を滞らせてしまうところだった。一人一人が動かす石は些細でも、みんなが石を回すことを心がけていれば、村全体の石の流れは途端に活発になる。その分、生還の可能性が格段に大きくなる。

「私気づいたの。確かに涼くんの言う通りだって。だからそれ以来、石をもらってマッサージしているのよ。そうしたらね、不思議と以前よりもマッサージを頼まれることが多くなったの。石を払うと思うと頼みやすいのかしらね。私はマッサージをして、石をもらって、貯まった石を定期的に甘利さんに渡しているのよ。甘利さんってわかる?村の共有財産を管理する人よ。つまり私が稼いだ石は、ゆくゆくは配給や給与としてみんなの手に渡るってわけ。私がマッサージをして石をもらわなければ石は動かなかったかもしれないと思うと、私は黄龍だけれど、村のみんなの役に立てているんだって思えるわ。大切なのは目の前の石一つを得ることではなくて、自分が何をして、どう石を動かすのかってことなのよね。それがみんなの、そしてもちろん自分の生還のために必要なことなんだわ」

 雪乃さんはその後も、息子さんの話や村で起きた面白いエピソードをたくさん聞かせてくれた。

 椎奈の凝りがすっかりほぐれた頃、「さ、おしまい」と言って肩がぽんと叩かれた。

「なんか私ばっかりしゃべっちゃったわね。椎奈さんが聞き上手だからかしら」

 素直に喜べない褒められ方に苦笑いしつつも、椎奈は「楽しかったです。ありがとうございました」と緑の石を手渡して、丁寧に頭を下げた。マッサージについてのお礼だけでないことは言うまでもなかった。そんな椎奈の気持ちを知ってか知らずか、雪乃さんは最後にまた涼の話をした。

「涼くん、口が悪くて嫌っている人も多いみたいだけど、本当はいい子なのよ。なんでなのかしら、進んで汚れ役を引き受けているっていう感じがするのよね。あの子しょっちゅう村の中をうろうろしては、村に来て日が浅い人にまめに声をかけているの。ひどいことを言っては、いらない恨みを買ったりしていて、見てると面白いわよ」

 椎奈は再度お礼を言って、その場を後にした。

 

 

 

 

 

つづき

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