*長編小説* 森の記憶

いつか失われる記憶の中で愛し合い、求め合い、精一杯生きる人たちの物語

32

 涼の様子が気になったが、ともかく言葉に従って雪乃さんに会いに行くことにした。

 黄龍の女性はたしか、朝会の時に前にいたはずだ。その記憶を頼りに、目当ての女性を見つけた。「雪乃さんですか?」と声をかけると、女性はふくよかな丸い顔をますます丸くするように顔全体で笑ってうなずいた。

「そうよ!えっと新人さんよね?」

 元気のいい、近所のおばさんといった雰囲気の女性だ。

「はい、大野椎奈と言います。よろしくお願いします」

「こちらこそ。もしかして、マッサージ?」

「え?」

「あら、ちがった?私ね、この村でマッサージの仕事をしているの。よかったらやっていかない?」

「あ、じゃあお願いします」

 勢いに押されて承諾した。

「時間が計れないから適当なんだけど、一回につき石一個ね」

 雪乃さんはそう言ってにんまりと笑った。強引にマッサージをされることになった上に石まで要求されて、ものすごい押しの強さに圧倒される。

 雪乃さんは「さ、座って座って」と言って地面に布を敷くと、椎奈を座らせた。そして早速首のあたりをさすり凝っている部分を探り当てると、指先に力を入れ始めた。

「あの、石って何色でもいいですか? 私今、緑しか持ってなくて」

「いいのいいの、ほら私黄龍だから。何色でもいいのよ」

 雪乃さんは手をぱたぱたと振った。おばさんがよくやる仕草だ。

 それにしても黄龍なのにどうして仕事をしているのだろうか。石を集めても生還にはつながらないのに。

「雪乃さんは、村に来てどれくらいになるんですか?」

 初対面で立ち入ったことを尋ねるのも気が引けて、当たり障りのない話題から入ることにした。

「ちょうど一カ月よ。受験を控えた息子を残して来ているの。心配だわ。早く戻りたい。でも黄龍石ってなかなか手に入らないでしょ。私、最初にこの村に来て黄龍って立場を理解した時、自分の運命を呪ったわ。だって他の人は働いたり取引したりして石を得れば確実に生還に近づけるのに、私はそうはいかないのよ」

 雪乃さんは典型的なおばさんがそうであるように、一の質問に十を返してきた。もちろんその手も休むことはない。

「しかもね……」

 雪乃さんは声を落とした。

黄龍は人が死ぬのを待っているの。自分が生還するために人が死ぬのを待っているのよ。そんなのってあんまりじゃない?最初は私、みんなの顔を見るのが怖かった。この女は自分が死ぬのを待っているんじゃないかって思われている気がして」

 広樹が『黄龍石が手に入る時というのは、必ず誰かが死んだ時なんだ』と言っていた。その言葉でわかったつもりになっていたけれど、雪乃さんの『自分が生還するために、人が死ぬのを待っている』という言葉は衝撃的だった。

「それに知ってる?この村では黄龍も配給をもらうのよ。もちろん黄龍石じゃないわ。私最初、いらないって言ったの。だって他の人にとっての配給は生還のための石だけれど、私にとってはなんていうのかしら……まるでおこづかいみたいじゃない? そんなの申し訳なくて断ったの。けれど涼くんがね、断固として許してくれなかった。『ちゃんと受け取れ』って怖い顔で言うのよ」

 突然涼の名前が出てきて、椎奈は驚いた。雪乃さんがこれから何かとても大事な話をするのではないかと思い、思わず息を整える。

「だからせめて自分にできることはないかって探したの。配給をもらうんだから、お返しに何かしようって。料理や家事全般は得意だけれど、そんなのここじゃ何の役にも立たないでしょう。この村は力仕事は多いけれど、女の人が活躍できるような仕事を見つけるのには苦労したわ。最終的にマッサージをすることにしたの。昔から得意だったのよ。どう?気持ちいい?」

 椎奈はうなずいた。雪乃さんの肌はなめらかで力の入れ具合もちょうどよく、気持ちよかった。せっかくほぐされた凝りも森ではすぐに元に戻ってしまうのだろうけど、とても気持ちが癒される。

 

 

 

 

つづき

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