*長編小説* 森の記憶

いつか失われる記憶の中で愛し合い、求め合い、精一杯生きる人たちの物語

36

「てめえ何で配給受け取らねえんだ」

 涼が静かな声で話し出した。

 肘まで捲り上げられたチェックのネルシャツからのぞく加山の細い腕には、緑の石だけが埋まっていた。加山が時々細かく震えているのか、石は思い出したように光を映す場所を変える。俯いた顔は長く伸びた前髪に隠れ、表情がよく見えなかった。

「黙ってちゃわかんねえだろ」

「僕は……生還するつもりは……ありません」

 初めて聞く加山の声は小さく、まだ幼さを残していた。

「あ?」

「生還したって……意味がない」

 また自殺を繰り返すということだろうか。

「元の世界で何があったか知らねぇが、てめぇ自分だけが辛い思いしてると思ってんだろ。ふざけんなよ。誰だって多かれ少なかれ色んな苦しいこと抱えて生きてんだ」

 加山は震えて口をつぐんだ。涼は小さくため息をついた。

「じゃあなんだ、一生この森で生きていくってのか」

「…………」

「何とか言えよ!黙ってちゃわかんねえっつってんだろ!」

「僕は……もうすぐ、死ぬつもりです」

「あ?」

「この森で、死ぬつもりです」

「んだと!?」

 涼が突然立ち上がり、加山の胸倉をつかんで体を持ち上げた。加山がされるがままに膝立ちになる。

「もっぺん言ってみろ!」

「僕は死ぬつもりです」

「本当だな!?だったら今殺してやるよ!いいんだな!」

 涼が加山の鉢巻を奪おうと手を上げた。加山が「今はいやだ!」と叫んで額を腕で覆う。

 椎奈は思わず立ち上がって二人を引き離した。涼が本当にそんなことをするはずがないとわかっていても、そうせずにはいられないほどの剣幕だった。加山はその場に崩れ落ち、涼はチッと舌打ちをして、「くだらねえ。もう好きにしろ」と吐き捨てると、どさっと腰を下ろした。

「ただ一つだけ言っておく。てめえが何を考えているのかは知らねえが、今後も配給を断り続けるつもりなら、村を出て行け。村は一つも石を無駄にすることのないよう協力し合って『生還するための』場所だ。そのルールに従えないってんなら、出て行け。いいな」

 涼に突き飛ばされた姿勢のまま、まるで人形みたいに力なく手足を投げ出した加山は、下唇を噛んで震えていた。

「とりあえず、村に帰ってよく考えろ」

 涼が吐き捨てると、加山はズッと鼻をすすって立ち上がり、村の方へ駆けて行った。

「くそ」

 涼が頭を抱える。

「ガキの扱い方はわかんねえ」

 ガキの扱い方云々以前の問題だと、いつもなら思っただろう。

 けれど今の椎奈にそんな余裕はなかった。

 生還を拒む加山に向けられた「出て行け」という涼の言葉。

 あれは椎奈に向けられた言葉も同然だ。

 なぜなら椎奈も生還を拒んでいる。

 目の前が真っ暗になった。

 そして続く思いもよらない涼の言葉が、椎奈にさらに激しい衝撃を与えた。

「お前も赤い石、避けてるだろ。何かあれば言えよ」

 横から不意に殴られたような衝撃だった。

 どうして知っているのか。なぜそれを今言うのか。村を出て行けということか。それを伝えるためにここへ連れて来たのか。

 頭の中は匙で乱暴にかき混ぜられたみたいにめまぐるしく回転しているのに、体は石のように固まって動けなかった。めまいがする。視界が歪む。

 涼は立ち上がり、着物の裾の土を音を立てて払った。

「行こうぜ」という声がしても、立ち上がれる気がしなかった。

 不思議そうに涼が椎奈の腕をつかんで引っ張り起こす。涼の顔を見ることができなくて、椎奈は目を逸らした。

 村に戻ると「俺には話しにくいのかもしれないから、時々様子を見てやってくれ」と言い残し、涼は村を出て行った。その後ろ姿に目をやると、大股で草をかき分けて進む涼の頭で、椎奈が作った鉢巻が揺れていた。

 

  

 

 

 

つづき

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