*長編小説* 森の記憶

いつか失われる記憶の中で愛し合い、求め合い、精一杯生きる人たちの物語

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 椎奈の鉢巻は村の圧倒的な支持を得た。特に女性は我先にと依頼を寄せ、椎奈は製作にてんてこ舞いだった。

 大河、文ちゃん、涼のものの他に、これまでに五本の鉢巻を完成させた。鉢巻は緑二個、赤二個、白一個、青三個の石へと変わった。そのうち緑一個は雪乃さんへのマッサージ代、白一個は新たな衣類への購入資金となった。

 赤い石はなるべく避けていた。理由をつけて別の色でもらっていた。青い石でもらえると、なぜか嬉しかった。

 森へ来て三日目のその日、椎奈は鉢巻をさらに二本完成させた。一本は年明けに還暦を迎えるという女性からの依頼品。赤い生地をベースに様々な色の糸で十二個の花を刺繍したデザインはとても喜ばれた。彼女は朱雀だったため「赤い石で払えなくて申し訳ないわ」と、青と白の石を一つずつ手渡された。一つでいいと断ったが「だめよ」と押し切られたので、ありがたく受け取った。

 もう一つは陣さん用だ。気風のいい陣さんには、新しく手に入れた白と黒の格子柄の布を使って、ねじり鉢巻風に仕上げた。とても似合っていて、本人も気に入ってくれた。支払いは赤い石で可能だと言うのでそのまま預かってもらい、高志に記録をつけてもらった。

 椎奈は鉢巻を配り終えると、すっかり馴染みの場所になった製作の拠点に戻った。体を斜面に横たえて、大きく伸びをする。ここはいつでもいい天気だ。たとえそれが偽物の太陽の光だとしても、光に包まれているとそれだけでほっとした。

 頭上の少し離れた所を侍姿が横切った。遠くからでもすぐにわかる。着流し姿は、いつ見ても様になっていた。

 涼がちらりと椎奈を見た。椎奈は上に伸ばしていた手を小さく振った。涼はよく見ないと気づかない程度に笑って去って行った。

 涼は初日からよく椎奈に声をかけてくれた。

 椎奈は『あの子しょっちゅう村の中をうろうろしては、村に来て日が浅い人にまめに声をかけているの』という雪乃さんの言葉と、『自分が保護した人には、やっぱり思い入れがあるんだよ』という広樹の言葉をぼんやりと思い出していた。

 

 

 翌日の朝会である事件が起きた。

 加山という十七歳の玄武の少年が配給の受け取りを拒否したのだ。

「何考えてんだ、あいつは」

 椎奈の隣で涼が忌々しげに呟いた。

 加山は三週間ほど前に森にやって来て涼に保護された。自殺を試みて意識不明になったそうだ。涼はまだ村が無かった頃にも、森で加山の姿を見かけたことがあると言った。何度も自殺未遂を繰り返しているのかもしれない。

 加山の石は一時的に陣さんに預けられることになった。

「加山くんくらいの年頃の子はそういう気分になることもあるよね。無理しなくていいよ」

 甘利さんがフォローしたが、加山は俯いたまま何かを固く決意するように唇を引き結んでいた。

 朝会が終わると、涼は加山を呼びつけた。加山の衿をつかんで村の外へ連れ出そうとした涼は、「お前も来い」となぜか椎奈にまで声をかけた。

 椎奈が高校教師だと知っている涼は、椎奈ならこのくらいの年の子の扱いに慣れていると思ったのかもしれない。が、それは迷惑な誤解だ。ギタリストならギターを思うままに扱えるかもしれないが、教員が子どもを思うままにできると思ったら大間違いだ。「先生の教え方、わかりやすいです」という音を期待しているのに、「塾で教わった解き方とちがいます」という音色を奏でるのが子どもなのだ。椎奈は不安を抱えながら後をついて行った。

 村を出るのは森に来た日以来だった。村から少し離れた途端に、あたりは薄暗くなった。涼は木の根元に加山を座らせ、自分はその正面に座った。椎奈は少し迷った末に二人からやや離れて腰を下ろした。

 

 

  

 

 

つづき

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