*長編小説* 森の記憶

いつか失われる記憶の中で愛し合い、求め合い、精一杯生きる人たちの物語

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 *  *  *

 

 朝会が終わると、文ちゃんが駆け寄って来た。

「椎ちゃん!朝会どうだった?村のこと色々わかった?」

「うん!文ちゃん、村はすごいね。私、感動したよ」

 文ちゃんは「よかった!これからよろしくね」と満面の笑みで椎奈の手を握って、ぶんぶん振った。

「ところで椎ちゃん、仕事はどうする?僕としては椎ちゃんに僕の仕事を手伝ってもらえたらと思っているんだけど」

 朝会後、たくさんいる新人の中から真っ先に椎奈の元にやって来たのは、仕事の勧誘のためだったらしい。

 文ちゃんの申し出はありがたかったけれど、椎奈は実は仕事として考えていることがあった。それは石を得るためというより、自分が我慢ならないことを解決するためにどうしてもしたいことだった。

「ごめん、お誘いはすごく嬉しいんだけど、実は自分で新しく仕事を始めてみようかと思っていて……」

 人の申し出を断るのは嫌なものだ。申し訳ない顔でためらいがちに言うと、意外にも文ちゃんは目を輝かせて椎奈に詰め寄って来た。

「そうか!じゃあそっちの方がいいよ。村の中で石を回すシステムはいくつあってもいいからね。今までにない仕事を新しく作り出すことの方が、うんと意義がある。すごいよ!さすが椎ちゃんだ!」

 そう言うと、顔の前で拳を握るという、いつの時代だと思うようなガッツポーズを取った。

「ちなみに、その新しい仕事ってどんなのか聞いてもいい?」

「鉢巻を……作ろうと思う」

 椎奈は少し照れながら答えた。

「鉢巻?」

「そう。今しているこれが、ちょっと味気ないと思って。素敵な鉢巻を作って、もしも欲しいって言ってくれる人がいたら石と交換してもらうのはどうかなって思ったんだけど」

 椎奈は涼に渡された白い鉢巻の端をつまんで言った。

 このださい鉢巻をし続けるのはどうしても嫌だった。同じように感じている人も絶対にいるはずだ。元々手芸は得意だし好きだ。だから鉢巻を作って、それで石を集めようと思ったのだ。

「すごい!それはいい考え……」

「椎奈さん!鉢巻作れるんすか!」

 椎奈を褒め称えようとした文ちゃんの言葉は、聞き慣れない声に遮られた。声の方を見ると、一度見たら忘れない格好の男と、モスグリーンのカットソーに千鳥格子柄のストールをアレンジしたお洒落な少年の姿があった。

「こら、大河。ろくな挨拶もなしに失礼だろ」

 声をかけてきたのは大河だった。大河は隣の道着姿の男に窘められ、おどけたように肩をすくめた。

「椎奈ちゃんだったよね。俺は雄一郎です。よろしくね」

 雄一郎が手を差し出してきた。

「大野椎奈です。よろしくお願いします」

「敬語じゃなくていいよ。あとこっちは大河」

「よろしくっす」

 大河ははにかみながら、顎を軽く突きだすような会釈をした。

 そしてもう我慢できないというように詰め寄って来て「で、椎奈さん、鉢巻作れるんすか!」とさっきの質問を繰り返した。

「うん。裁縫道具もあるし、大したものじゃなければ作れるよ」

「すげえ!俺にも作ってください!俺、雄一郎さんとお揃いの赤いやつがいいっす!」

 あまりの興奮状態に、文ちゃんも雄一郎も声を上げて笑う。

「わかった。すぐに作るよ」

「椎ちゃん、僕にも作って。赤は嫌だけど」

 文ちゃんが雄一郎に対して失礼な発言をする。

「あ、じゃあ俺にも」

「雄一郎さんはだめっすよ!お揃いにならなくなるっしょ!」

 赤鉢巻男の発言は、即座に大河に却下された。

 その時、遠くから広樹が文ちゃんを呼んだ。文ちゃんは「じゃあ僕は行くけど、椎ちゃん何か困ったことがあったらいつでも声かけてね」と手を振って去って行った。

「椎奈さん。雄一郎さんはこの村で一番優しいから、何かあったら絶対に雄一郎さんに相談した方がいいっすよ」

 大河は一押し商品を売りつけるように雄一郎の体を叩きながらアピールした。

「大河くんは、雄一郎さんが大好きなんだね」

「大河でいいっすよ、大河で!雄一郎さんはすごいんす!すごいし超優しいんす!この森に来たのも、絡まれてた人を助けて代わりに悪い奴らにタコ殴りにされたからなんすよ!すごいっしょ!優しいっしょ!」

「タコ殴りってお前それ褒めてないよ……」

 雄一郎が苦笑する。いいコンビだなと椎奈は堪えきれずに笑った。

「でも古株なのは確かだから、わからないことがあったら何でも聞いてね」

 雄一郎は穏やかな微笑みをたたえて言った。

 

 

 

 

 

つづき

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