*長編小説* 森の記憶

いつか失われる記憶の中で愛し合い、求め合い、精一杯生きる人たちの物語

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 村に戻ると文ちゃんが中心となって事の収拾にあたっていた。少年がもたらした混乱だけでなく、その後続けざまに雄一郎が亡くなったことで、村はまだ収拾がつかない状態だった。この一連の騒動で生還した人は大泉さんを含め九名。少年に石の数を宣告された人は、椎奈を含め六名が残った。そのうちの一人は、黄龍のわー君だ。

 話し合いの結果、雄一郎の額の石が変化してできた黄龍石は、朝会を待たず今この場でわー君に飲ませることとなった。少年の力の真偽を今一度確認する目的と、それが本当であれば幼いわー君を一刻も早く生還させてやりたいとの気持ちからだった。

 涼の体から取り出された黄龍石が、雪乃さんの手によってわー君に飲まされた。わー君はそのまま生還した。息を飲む人々をよそに、わー君だけは何が起きているのかまるでわかっていないあどけない表情を浮かべていた。これで少年の力は疑いようがなくなった。

 涼と椎奈は、飲み込んだ雄一郎の石を取り出して甘利さんに渡した。亡くなった人の残した石は村の共有財産になる。しかし無我夢中で飲み込んだせいで、椎奈はいくつか赤い石を飲み込んでしまっていた。赤い石は取り出せない。申し訳なく思っていると、甘利さんは「他の人も同じだったよ。この状況じゃ仕方がない」と穏やかに言った。

 大河はまだショックから抜け出せていなかった。広樹に傍らに付き添われ、何度も思い出したように涙を流していた。

 少年の姿は村にはなかった。雄一郎が亡くなった後、村を出る姿を見たという人がいた。椎奈は誰にも行先を告げず村を出た。

 

 

 少年はまだ遠くに行っていないという不思議な確信があった。

 椎奈は少年の態度に、焦りにも似た感情を感じていた。あんなに自分の力に自信があるのなら梟に留まっていればよかったのに、あの子は村にやってきた。そしてまるで見せつけるみたいに力を使った。きっと何かあったのだ。もしかしたら行くところがないのかもしれない。そうであれば、まだ村の近くにいる可能性が高い。

 その確信通り、ほどなく少年の姿を見つけた。太い木の根元に腰を下ろして、背中で両手を拘束する紐を解こうと身をよじっている。

「かして」

 少年は椎奈の気配に気づかなかったのか、声をかけると身を竦ませて驚いた。少年の背後に回って紐に手をかける。少年は乱暴に椎奈の手から逃れようとしたが、椎奈は紐を強くつかんだ。

「このままじゃ痛いでしょ。ほどいてあげるから」

 少年が無理矢理引っ張ったせいか、結び目は石みたいに固くなっていた。少年は観念し、椎奈に手を預けておとなしくなった。

「あなたの言った通り、雄一郎さんの額の石は黄龍石になったよ」

 結び目を指でなぞり、糸口を探す。

「雄一郎さんってわかる?」

 あたりをつけてつまんで引っ張ってみたが、思った以上に固い。少年は、椎奈の問いかけに小さくうなずいた。

「その黄龍石で、わー君は生還した。わー君も、わかるよね」

 糸みたいに細くなっている布に爪をかける。強く引くと、少年が体をこわばらせた。見ると、布が何度もこすれた部分の皮膚が少し赤くなっていた。椎奈は自分の鉢巻を外して、布と少年の手の間にクッションとして差し入れた。少年がその感覚に驚いて振り向き、鉢巻を目にすると体からかすかに力を抜いた。

「だから、何?」

「何って?」

「別に僕のせいじゃないよ」

「わかってるよ」

 雄一郎が死んだことも、わー君が生還したことも、もちろん少年のせいではない。けれどそれはまるで、少年が呪いをかけたみたいな展開だった。

「じゃあ何しに来たんだよ」

「何しに来たんだろうね」

 自分でもなぜ少年を探しに来たのかはよくわかっていなかった。ただなんとなく、少年が呼んでいる気がしたと言ったら変だろうか。

 少年には、ほっておけないあやうさがあった。けれどそれを正直に言ったところで、この強情でプライドの高そうな少年が素直に受け取るとは思えない。だから曖昧に答えた。

「自分でもわからない」

「何だよそれ。さっきは僕のこと叩いたくせに。恨み言を言いに来たんじゃないの? それともあれ? 僕が勝手に生還に必要な石の数を教えたから怒りに来た?」

 少年の態度も結び目も、椎奈を真っ向から拒絶している。それでも椎奈は根気よく結び目に爪をかけ続けた。

「たしかに、あなたが涼や雄一郎さんに言った言葉はひどかった。今でも許せない」

「よかれと思って言ったんだよ。だって一人の犠牲で……」

「それはもう聞いた」

 強い口調で言葉を遮った。あんな言葉、二度と聞きたくない。

「文ちゃんが言った通り、あなたのその力はすごい力だよ。ただ、使い方を間違えると多くの人を傷つける。私以外の人にも、同意なく石の数を教えたんじゃない? そんな数、知りたくない人もいるだろうに。推理小説の犯人教えちゃうのとはわけがちがうんだよ。それから梟で使われている『ヤギ』って言葉。あれは最低。考えた人が許せない。一人の命と大勢の命を天秤にかけるなんて残酷なこと許されるはずがない。二度と言わないで」

 少年はうつむいて唇を引き結んだ。

 しばらく結び目と格闘するだけの時間が過ぎた。鋏があればいいのにと、この森に来て一番強く思った。裁縫道具を村に置いて来てしまったことを後悔した。あんなに小さな鋏でも無いよりましだったにちがいない。

 それでも少しずつではあるが、確実に布は動きを見せていた。

 

 

 

 

 

つづき

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