*長編小説* 森の記憶

いつか失われる記憶の中で愛し合い、求め合い、精一杯生きる人たちの物語

2021-03-07から1日間の記事一覧

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雄一郎さんが力を持っていたという事実も、椎奈さんを想っていた気持ちも、俺だけが知るものになった。俺が森からいなくなってしまえば、それはもう誰も知らないものになる。まるで最初から何もなかったみたいに。 けれどよく考えたら、世の中というのはそう…

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ふと目を上げると、椎奈さんが村を出て行くのが見えた。俺は立ち上がって、ふらふらその後を追った。椎奈さんに会ったところでどうするつもりなのか自分でもわからなかったけれど、体は勝手に雄一郎さんの想い人の後を追っていた。 なんと声をかけていいかわ…

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「雄一郎!」 その時、大泉さんが声をかけてきた。隣には見かけない黄色のパーカーを着た男を連れている。文ちゃんが呼んでいると聞き、雄一郎さんは立ち上がった。そして俺を見るといつもの笑顔で「大河も一緒に来い」と呼んでくれた。 俺は喜びを隠しきれ…

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俺の苛立ちは日々募る一方だった。雄一郎さんの態度は頑なだし、わー君はなかなか生還しない。そして雄一郎さんが毎日見つめる椎奈さんの隣には、いつも侍の姿がある。そのどれもが俺の心をねじるみたいに不快にした。 そんなふうに俺が雄一郎さんの力を知っ…

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「アキラが亡くなった時の涼の落ち込みようって言ったらなかった」 雄一郎さんは言葉を続けた。 「大事に思っていた子を失って、もしかしたらこのまま石を集める気力を失って死んでしまうんじゃないかって心配した。でもちょうど椎奈ちゃんがやって来て、涼…

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けれど考えてみた。もしもそんな力が実在したらどんなにいいだろう。自分に必要な石の数がわかるなんて夢みたいだ。 この森に来て石の話を聞いた人は必ず、自分はいくつ石を集めれば生還できるのか、と訊く。当然だ。知りたいに決まっている。何か買おうとし…

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森の巡回にも慣れてきたある日、不思議な出来事が起きた。 風が吹いて、おむつ姿の赤ん坊を見つけた時のことだ。赤ん坊の額には、その目よりもうんと大きな赤い石が光っていた。俺は正直なところ、こんなに小さな子を見たのは物心ついてから初めてで、動揺し…

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* * * 雄一郎さんが死んだ。 最後に俺の名前を呼んで、大好きだった雄一郎さんが死んだ。 高校三年生の秋だった。俺は春からの就職先も決まり、念願だった車の免許も手に入れて浮かれまくっていた。 十一月の最後の月曜日は創立記念日で休みだった。俺は…

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足もとを見つめ、草を踏みしめる音を楽しみながら歩いていると、「おい」と聞き慣れた声がした。目を上げると、腕を組んだ涼が少し先の木に斜めにもたれかかっている。 「勝手にいなくなるな。一人で森に出るなんて何考えてる」 探しに来てくれたのだろうか…

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「ある人が山奥で遭難した。やがて夜になり、あたりは真っ暗になった。どちらに進んだらいいのかもわからず絶望していると、遠くに一つの明かりが見えた。その人はその明かりをたよりに下山して助かったの。きっとどこかの民家の明かりだったんだろうね。そ…