*長編小説* 森の記憶

いつか失われる記憶の中で愛し合い、求め合い、精一杯生きる人たちの物語

63

*  *  * 

 

 雄一郎さんが死んだ。

 最後に俺の名前を呼んで、大好きだった雄一郎さんが死んだ。

 

 

 高校三年生の秋だった。俺は春からの就職先も決まり、念願だった車の免許も手に入れて浮かれまくっていた。

 十一月の最後の月曜日は創立記念日で休みだった。俺はレンタカーを借りて海に出かけた。本当なら夢のようにかわいい彼女を助手席に乗せて、俺の華麗なポンピングブレーキで胸をときめかせてやりたいところだったけれど、たまたまなぜか珍しいことに恋人がいない時期だったので、妥協して同じく免許とりたての童貞、小塚くんと行くことにした。ちなみに「同じく」が免許とりたてだけにかかっているのか童貞にもかかっているのかは、ご想像にお任せする。

 行きはこの俺が運転した。高速をひた走る人並み外れて鮮やかな俺のドライビングテクニックに、隣の車線を走り去る車たちが次々にクラクションの祝福をくれた。「もう少しスピード出してもいいんじゃない?」と小塚くんは言ったが、これだから童貞は生き急いでいて困る。急いては事をし損じるのだ。

 予定より大幅に遅れて到着した海は信じられないくらい寒くて、「さみー!」と叫びながら浜辺を駆け回った。春から社会人になるんだからバカをやれるのもあと少しだと、人目もはばからずに叫び、走り、転げ回った。すげえ楽しかった。めちゃくちゃ疲れたけど、とにかく楽しかった。

 帰りは小塚くんがハンドルを握った。「酔わせてやるよ、いい意味でな」と人差し指を突きつけてきた小塚くんに、「家に着く頃には、抱かれてもいいわって思わせてよね」とウィンクを返した。多分疲れすぎて、二人とも頭がおかしくなっていたんだと思う。俺は高速に乗る前あたりから記憶がない。気がついた時には、森にいた。

 ここはどこだと途方に暮れていると、空手の道着を着た男性に声をかけられた。彼は雄一郎と名乗り、パニックと不安で滝のように涙を流す俺の支離滅裂な話を根気よく聞いて、事故にあったんだろうな、怖かっただろうと優しく頭を撫でてくれた。俺は人を見る目には自信がある。俺の目は、雄一郎さんを信頼していいと言っていた。

 雄一郎さんは俺を村というところに連れて行った。そこで、いかにも賢そうな文ちゃんという人が、この森のこと、石のこと、村のことを説明してくれた。俺は話を聞くにつれ、小塚くんのことが心配になった。俺たちはきっと、意識不明になるくらいの大きな事故を起こしたんだろう。小塚くんも意識不明になって森のどこかにいるんだろうか。それとも死ん……。俺は首を振った。悪い可能性は考えまい。小塚くんはきっと無事だ。早く生還して、また小塚くんに会うんだ。とにかく頑張って石を集めようと決めた。

 雄一郎さんは思った通り、とても優しい人だった。いつも笑顔で、落ち着いていて、穏やかで謙虚で、空手が強い。頼りがいのある大人の男だった。俺みたいな十以上も年下の男の話をいつも丁寧に聞いてくれるところも、ちょっぴりお茶目なところもすごくかっこよく見えた。雄一郎さんは俺の憧れの人になった。

 村の生活にはすぐに慣れた。思ったよりも快適だった。でもどうしても気に入らないことがあった。村では十八歳以下の人に毎日石が配られる。俺はこの配給が嫌いだった。四月からは社会に出る俺だ。もうすぐ一人前なのだ。それなのに小学生みたいなちんまいガキに交じって配給を受けるのは屈辱的だったのだ。

 そう訴えると侍の格好をした涼という男に、「ガキが吠えてら」と鼻で笑われた。村に来てすぐに気づいたが、この涼という男は無愛想だし口は悪いし頭は固いし他人を見下している。いいところといえば顔くらいだが、それも同性の俺からしたら嫌悪の対象にしかならない。ある日、陰で涼の悪口を言っていたら「呼び捨てにすんな」と後ろから殴られた。すげえ痛かった。もう名前を呼ぶのも嫌になって、以来侍と呼んでいる。あんな男にはなりたくないものだと、姿を見るたびに不愉快な気持ちになった。

 侍に対する意地でもなんでもなく、俺は本当に配給を受けるのが嫌だった。そこで石をもらうからには仕事をしようと思い立ち、新人の保護、森の巡回、村の警備の仕事をしている雄一郎さんの見習いになることにした。憧れの雄一郎さんと長く一緒にいられるし、仕事をして石をもらっていると思える、一石二鳥の名案だ。

 するとここでもあの忌々しい侍が口を出してきた。雄一郎さんも俺も白虎だ。白虎同士は組んで仕事をするなというのだ。

 森を巡回していると、村には所属せずに単独で行動している人に出会う。その時に石を交換することがよくあるのだが、白虎同士が組んでいると取引できる石に制限が出てくる。二人とも白い石は取り出せないし、朝会以外の場で生還することを避けたい身としては白い石を受け取ることもできないというわけだ。理屈はわかるが、侍に言われるとむかついた。意地悪で言っているんじゃないかと勘ぐった。そもそも一人で森に出れば同じような問題に直面するわけだし、別にいいじゃないかと思った。結局雄一郎さんが話をつけてくれて、俺は無事見習いになることができた。侍は納得したのかと思いきや、その後も俺と雄一郎さんが森へ出る度に嫌な顔を向けてきた。一度受け入れたことをしつこく蒸し返すなんて女々しいったらない。侍のことがますます嫌いになった。

 

 

 

 

つづき

目次