*長編小説* 森の記憶

いつか失われる記憶の中で愛し合い、求め合い、精一杯生きる人たちの物語

68

「雄一郎!」

 その時、大泉さんが声をかけてきた。隣には見かけない黄色のパーカーを着た男を連れている。文ちゃんが呼んでいると聞き、雄一郎さんは立ち上がった。そして俺を見るといつもの笑顔で「大河も一緒に来い」と呼んでくれた。

 俺は喜びを隠しきれないまま、後を追った。

 それなのに。

 こんなことってあるだろうかと思うほどの間の悪さだった。

 文ちゃんは、雄一郎さんと同じ力を持っている人がいると言った。そしてその力によって村に危険が及ぶと言ったのだ。

 俺は目の前が真っ暗になった。雄一郎さんが文ちゃんに力のことを打ち明けようと決意した矢先だ。それなのに、まだ打ち明けてもいないのに否定された。

 さらに悪いことは続いた。

 その力を持つのは自分だという男が現れ、あろうことか乱暴に力を行使して村を混乱に陥れた。みんな、その男のことを恐ろしいものでも見るみたいに見ていた。これではますます雄一郎さんが力のことを言い出せない。俺はいたたまれなくて、雄一郎さんの顔を見ることができなかった。

 そして、その時は唐突にやってきた。

 雄一郎さんが死んだ。

 突然倒れ、何度か体を大きく反らせたかと思うと、跡形もなく消えた。

 さっきまでたしかにそこにいたのに、俺の目の前で霧のように消えた。

 雄一郎さんが残した石をみんなが必死に集めて飲み込んだ。その石で何人かが生還した。

 意味がわからなかった。全く動けなかった。ただ震えていた。

 やがて、わー君が生還したと知らされた。俺が初めて保護したわー君。あれほど生還させたかったわー君。そのわー君は、雄一郎さんの額の石が変化した黄龍石で生還した。

 こんなはずじゃなかった。雄一郎さんと一緒に見送ってやるはずだったのに。まさか……雄一郎さんの石で生還するなんて。

 頭の中身がどろりと溶けたみたいに気分が悪かった。視界がぐらぐら揺れていた。何が起きているのかまるでわからなかった。これは現実だろうかと何度も足をつねった。

――大河……たいが……

 俺の耳には、雄一郎さんが最後に俺の名前を呼んだ声がいつまでも響いていた。

 雄一郎さんは最後の力を振り絞って、俺の名前を呼んだ。

 半年も森にいた雄一郎さん。自分は一体いつ生還できるのだろうか、本当に生還できるのだろうかと、全てを投げ出したくなることがあると言っていた雄一郎さん。椎奈さんが好きで、でも困らせたくないと言って最後まで想いをひた隠しにしていた雄一郎さん。力を使ったせいで人を死なせてしまった自分を責めていた雄一郎さん。俺だって力を使って人に喜んでもらいたいと言っていた雄一郎さん。

 どんな時も優しかった。いつも笑っていた。俺の憧れだった。

 死んでしまうなんて夢にも思わなかった。

 胸をかきむしりたくなるくらいの苦しさが俺を襲った。

 もっと優しくすればよかった。もっと支えになればよかった。

 雄一郎さんは俺の存在に救われたと言ってくれたけれど、俺の態度は本当にあれでよかったんだろうか。力に押しつぶされそうになっていた雄一郎さんに、もっと他にできることがあったんじゃないだろうか。報われない片思いに胸を痛めていた雄一郎さんに、もっと他にかけるべき言葉があったんじゃないだろうか。力を使えとか、好きだと伝えろと責めるばかりじゃなく、たくさん楽しい話をして、笑い合って、色んなことを教わるべきだったんじゃないだろうか。

 雄一郎さんは、最後に俺の名前を呼んだ。

 俺はすがりつくばかりで、何も声をかけられなかった。

 ありがとうって言えばよかった。

 ごめんなさいって謝ればよかった。

 こんなにも突然、別れることになるなんて。

 もう二度と会えないなんて……

 

 

 

 

 

 

つづき

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