*長編小説* 森の記憶

いつか失われる記憶の中で愛し合い、求め合い、精一杯生きる人たちの物語

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 村では、少年に石の数を宣告された者が大泉さんの他に十人ほどおり、そのうちの四人がその言葉に従って石を交換して生還したそうだ。

 生還は本来喜ばしいことにもかかわらず、明るい表情を浮かべている者は一人もいない。

 少年がそばにやってくると、困惑と恐怖がないまぜになった表情を浮かべ、ある者は少年から不自然に目を逸らし、ある者は奇異なものを見る目で見ていた。人々は遠巻きに少年と彼を拘束する涼を取り囲んだ。

 陣さんが人の輪から進み出る。

「何が起きているんだ」

「この子は、生還に必要な石の数がわかるらしいんです」

「本当か」

 文ちゃんが説明すると、陣さんは少年に顔を向けた。

「本当だよ。数字が見えるんだ。じいさんの数字も教えてあげようか」

 少年が不遜な態度で言い、涼に揺さぶられて忌々しそうな顔をする。

「私は結構だ」

「なんで?普通知りたいでしょ。自分があといくつで生還できるかわかるんだよ」

「どうしてそう思う。君は自分の寿命を知りたいと思うのか」

「寿命?何言ってんの。石の数は寿命じゃないでしょ。ねえ、一刻も早く元の世界に戻りたくはないの?いつまでもこんなところにいたって仕方ないでしょ」

「こんなところ?」

「だってそうでしょ。こんな何もないただ石を集めるだけの森に長くいる理由はないじゃない。村には遊ばせている石がたくさんあるんでしょ?共有財産の他にも、みんな自分の生還とは関係ない色の石をたくさん持っているんだってね。頭おかしいんじゃないの?梟では余分な石を持っている奴なんて一人もいなかったよ。だってその石で生還できる奴がいるんだ。それならそれもきっちり分けて、より多くの人が生還できるようにするべきじゃないか。そんな時、僕のこの力が活躍するんだよ。わかる?」

 これだけアウェーの空気の中でいっそすがすがしいと思えるほど、少年は少しも怖気づくことなく陣さんに持論をまくし立てる。

「君はこの森に来て、どのくらい経つんだ」

「三週間だけど」

「私は……四年だ。君にとってこの森は、かりそめの場所なんだな。元の世界こそが自分の本物の人生で、この森はいずれ忘れてしまうような、さして重要ではない場所なんだろう。元の世界は、おいしいものを食べたり旅行に行ったり、勉強したり金を使ったり、ここよりもうんと楽しい場所だからだろうか。でもね、この森での日々も紛れもなく私たちの人生の一部なんだよ。いずれ忘れてしまうとしても、私たちは確かにここで生きている。この森は石を集めたり分け合うためだけの場所じゃない。人と共に暮らして、人間関係を築いて、元の世界と同じように様々な感情を抱きながら生きる場所だ。この森で生きることは、元の世界で生きることと同じくらい大事なことなんだよ」

 陣さんはまっすぐに少年を見つめ、静かに語りかける。少しかすれたその声は、決して大きくはないけれど、心に重くのしかかる。

「君は石を効率よく分けることだけをこの森での唯一の価値のように言うが、本当にそうだろうか。余分に持っている石を取り上げて生還のために分け合えばいいと言うが、それが本当に石の一番いい使い方なんだろうか。この森で石を使うことは、すなわちその人の価値観を表すことだ。自分の生還に必要のない色の石をどう集め、どう使うか。そこにその人の生き様が現れると言ってもいい。一刻も早く生還するために、全て額と同じ色の石に交換する人もいる。生還に必要ないから共有財産にしてくれ、と無償で提供してくれる人もいる。大切な人のために集めて、見返りなど求めず渡してやっている人もいる。君はそれを、頭がおかしいと言うのか」

 椎奈は無意識に自分の腕を握っていた。シャツ越しに感じる固い感触。そこには、赤い石と同じくらいたくさんの青い石がある。この石の存在を、涼はまだ知らない。

「生還することはもちろん大切なことで、一番の目標と言ってもいい。しかし決して唯一の目標ではない。世の中には人の数だけ考え方がある。どれが正しくて、どれが間違っているというわけじゃない。けれど多くの場合、声の大きな人、つまり大きな力を持っている人の意見がまかり通り、力のないものの意見は押さえつけられる。君は今、とても大きな力を持っている。だからこそ、君は慎重にならなくてはいけない。多くの人の意見に耳を傾け、その大きな力をもっと慎重に使うべきなんだ」 

 陣さんの言葉を、誰もが音も漏らさず聞いていた。陣さんが口を閉じると、村は静まり返った。

「君は、その力が引き起こす弊害を考えたことがある?」

 今度は文ちゃんが静かに問いかけた。

「生還に二百個以上の石が必要だと言われた時のアキラの気持ちを考えたことがある? たしかに君の力はすごいよ。使い方次第でこの森での石のやりとりを飛躍的に発展させることもできる。君がその力を使ってより多くの人を生還させたいって言っていた気持ちも、全てが嘘ではないと思う。でもね、君のやり方には悪意を感じるよ。君、椎ちゃんに勝手に石の数を教えたよね」

 文ちゃんが椎奈の方を見た。少年の目がこちらを向く。

「本人が知りたいかどうかも確かめずに、こんな大事なことを勝手に告げるなんて乱暴だよ。大泉さんに無理矢理青い石を渡して生還させたのもひどすぎる。君の力は君だけが持つ、すさまじい力だ。だからこそ陣さんの言う通り、使う時には慎重にならなくちゃいけない。様々なデメリットも考慮して、人の感情に配慮して、ルールに則って使うべきだ」

 少年は眉間に皺を寄せて文ちゃんを睨みつけた。言い返す言葉を探すように唇を震わせる。その時、その前髪がひらりと舞った。

風が吹いていた。

「このタイミングでかよ……」

 広樹が呟き、涼と雄一郎に目をやる。阿吽の呼吸でうなずき合い、広樹が駆け出した。

 村の人々の意識が広樹の方に逸れる。

 その時だった。

 

 

 

 

 

つづき

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