*長編小説* 森の記憶

いつか失われる記憶の中で愛し合い、求め合い、精一杯生きる人たちの物語

57

 椎奈の全身に鳥肌が立った。ざらりとした大きな舌に舐められたような薄気味の悪い感覚。心臓が、とくとくと警告を発する。

 椎奈は隣に立つ雄一郎に違和感を覚えた。そして目にした光景に目を疑う。震えながら言葉を発した。

「雄一郎さんの、額の石が……光ってる」

 その声に、一瞬で空気が切り裂かれたように張りつめた。

 まず涼が、そしてわずかに遅れて文ちゃんが反応した。

「雄一郎!」

「広樹! 広樹、戻れっ!」

 刹那雄一郎の体が硬直し、その目が突然光を失う。崩れ落ちる体を涼が飛んできて支えた。少年は突然拘束を解かれ、反動でその場に倒れる。人々が何事かと雄一郎を囲んだ。

 椎奈は何が起こったのか全くわからなかった。

 雄一郎の体を横たえ、涼は必死に呼びかける。その声は聞いていられないほど痛々しい。

「くそっ! おい、雄一郎! しっかりしろ、雄一郎!」

「雄一郎さん! 雄一郎さん!」

 人々を猛然とかき分けて戻ってきた広樹が、涼の反対側から雄一郎を支えた。

 涼が慌ただしく胸元を探り、いくつか白い石を取り出して雄一郎の口に押し込んだ。途端、雄一郎の体が大きく反り上がり、人の輪がざっと後退する。

「……っ! くそ!」

 涼が吐き捨てた。雄一郎の指が、何かをつかもうとするように何度も動いた。大河がよろよろと雄一郎の足もとに近づく。

「涼! 雄一郎さんが何か言ってる」

 広樹の言葉に、涼が雄一郎の口元に耳を近づけた。雄一郎の口が微かに動く。涼が大河を振り返り、衿首をつかんで乱暴に引き寄せた。大河を確認した雄一郎の口が、再び弱々しく動いた。

 そして次の瞬間、雄一郎の体は再び大きく反ったかと思うと、一気に脱力した。直後一瞬で霧のように消え、皆が注視する中、大量の石と黒帯がバタバタバタっと地面に落ちた。

 時が止まったかに思えた。誰もが微動だにせず、物音一つ立てなかった。息をすることすらはばかられた。雄一郎を呼び続けた涼と広樹の声の残響が、耳にかすかにこだましていた。

 最初に聞こえたのは大河の声だった。

「ゆう……いちろう……さん……」

 蝶の羽音ほどの小さな声。その小さな音は涼を我に返らせた。

「……るな」 

 涼が何か言う。皆の意識が涼に集まる。

「一つたりとも無駄にするな!」

 涼が叫んだ。叫ぶと同時に石を猛然と拾い集め、次々に飲み込んでいった。人の輪から何人かが飛び出して涼に続く。場が一気に殺気立った。皆で必死に石を集めた。椎奈も転がるようにして涼の隣に膝まずき、石を拾った。地面に散らばる信じられないほどの膨大な数の四色の石。拾っては飲み込み、探して拾ってはまた飲み込む。

 石が……消えてしまう前に……

「自分の色は避けろよ」

 目で石を次々に追いながら、涼が言った。耳から入った声が頭に到達して理解されるまでの間に、椎奈はいくつか赤い石を飲み込んでしまっていた。それでもとにかく、一つも見逃すまいと草の上に這いつくばった。

 拾った石を飲み、生還してしまう人が出た。雄一郎が残した石の上に、新たに石が落ちる。それをまた誰かが拾い、飲み込む。目の前の光景が、現実だとは思えなかった。椎奈が目にしただけでも、四人の人が消えた。なぜか涙が溢れた。零れる雫を拭い、目の前の草をかき分けた時だった。

「涼」

 そこには黄龍石が輝いていた。

 何も言わず、涼が拾って飲み込んだ。その時その目から一筋の涙が零れた。

 やがて草の上の石がすべて無くなった。すべて飲み込むことができたのか、間に合わず消えてしまったものもあるのか今となってはわからない。皆呆然とし、肩で大きく息をしていた。自分の心臓と呼吸の音だけが耳に大きく響いていた。

「くそっ!」

 涼が叫び、地面を拳で突いた。近くにいた者がびくっと震え、慌ててその場を退く。勢いよく立ち上がった涼は、行く手を遮るように立ち尽くしていた人たちを突き飛ばして村を出て行った。

 呆然とする椎奈の耳にうめくような大河の泣き声が響く。はっと我に返った時には、涼の姿は見えなくなっていた。椎奈は慌てて立ち上がり、涼が消えた方向へ駆け出した。

 

 

 

 

 

 

つづき

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