*長編小説* 森の記憶

いつか失われる記憶の中で愛し合い、求め合い、精一杯生きる人たちの物語

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 結局涼と椎奈は、涼の体に二百九十九個の青い石と十四個の赤い石、椎奈の体に二十六個の赤い石と十二個の青い石を残して、その他の石を全て共有財産へ提供した。

 二人で生還の日を、三日後のクリスマスの日に決めた。それまでに涼は給料と配給合わせて四個の青い石、椎奈は受注している鉢巻二本分と配給合わせて三個の赤い石を手に入れる予定だ。それを踏まえて、体の石の数を調整したのだ。

 村の中の石の動きは、信じられないほど活発化していた。そこらじゅうで交換がなされ、生還に必要のない石は、誰かにあげる人もいれば、共有財産に提供する人もいた。

 意外だったのが、朝会以外の場で生還する人が少なかったことだ。必要な石が揃えば、日付が変わるのを待たずに生還する人が多く出るだろうと思っていたが、実際にはこれまでと同じように石を陣さんに預け、翌朝の朝会で「この石で生還します」と高らかに宣言して生還していく人が多かった。彼らはみな拍手で送り出され、消えて行った。

 広樹もその中の一人だった。寿命を知るみたいだから石の数なんて知りたくないと言ってはいたものの、まわりがどんどん石の数を知り、ついには涼もその数を知ったことが後押しとなり、紫音からその数を聞いた翌日の朝会で生還した。

 涼はまばたきもせず、それを見送った。椎奈と目が合うと小さく笑った。自分の石の数を知らなかった頃ならば、笑うことなんてできなかっただろう。広樹は三か月もの時間をともに過ごした戦友だ。その喪失感は計り知れない。

 けれど涼は残されたわけではないのだ。涼もすぐに後に続く。嫉妬も羨望も絶望もない心で、広樹の生還を喜んでいた。

 雄一郎に続き広樹がいなくなり、さらに涼があと数日で生還することとなった村は、新人の保護や村の警備の点で、一気に脆弱なものになるかと思われた。しかしその心配はなかった。

 広樹が生還した翌日、涼が元プロレスラーのセスという外人を保護した。セスはものすごく体が大きくて、二の腕の太さは椎奈のウエストほどもあった。日本語がほとんどわからないセスに、文ちゃんが英語で仕事を依頼すると、子どもみたいな笑顔で親指を立て、「ナッサーイ!」と意味不明の日本語で引き受けてくれた。おそらく「任せなさい」と言っているのだろう。

 そしてこのセスが満面の笑みで最初に保護してきたのが、友納さんというヤクザだ。薄桃色のスーツにオールバック、時代遅れとも思えるほど大きなサングラスを右手に持って、先が凶器のようにとがったエナメルの靴で村に入って来た友納さんは、遠くからでも一目で職業がわかった。友納さんが村にいれば、襲ってくる輩などいるはずがない。話してみると意外にも気さくな人だったけれど、それでは威嚇にならないのであまり笑わないでください、と文ちゃんに真顔で頼まれ、困惑しているのがおかしかった。日本語のできないセスと、そこにいるだけでおそろしい……いや、ありがたい友納さん。さらに男勝りな体育教師の女性が加わったりして、村は新たな色を映し始めていた。

 涼と椎奈は残された三日間を大切に過ごした。なるべく一緒にいて、人目のないところでたくさん触れ合った。

 生還できる喜びや想いを存分に伝え合える幸せは、贅沢にも次第に薄れていた。代わりに頭の中を侵食していたのは、もちろん別れの時が近づいているという事実だ。

 そのせつなさを埋めるように、ただ体を合わせた。涼の骨の形や筋肉の固さを覚え込むように何度も触れて、撫でて、体に刻んだ。その熱や手触り、味やにおいまで、全てを体に刷り込んだ。

 夢中で戯れすぎて鉢巻が取れ、慌てたことは一度や二度じゃない。つながってしまいたくて仕方なくて、危ういことになりかけたことも何度もあった。別に最後までしてしまってもいいんじゃないかと、今行為に及んだ場合の石の移動を真剣に検証したりもした。

「二十五日の朝会の時点で二個分余裕があればいいのか?」

「二個じゃだめでしょ。二個じゃ給料と配給を受け取ったら、その場で生還しちゃうもの」

「じゃあ三個か。で、お前今青い石いくつ持ってんだったっけか」

 そんな会話をしているうちに熱が落ち着いて、バカみたいだと笑い合うということを繰り返していた。

「面倒くせえな。お前、陣さんに青い石十個くらい預けてこいよ」

 なんて言われたこともあった。

「私だけ預けても意味ないよ。なんなの、そこまでしてやりたいの」

「やりてえに決まってんだろうが……二十代の男なめんな」

 セックスしたいがために石の数をあれこれ計算するなんて滑稽だ。ましてそのために陣さんに石を預けようとまでするなんておかしくておかしくて、のしかかってくる体を叩いては笑った。

「全然おさまんねえな……お前、何かややこしい話しろよ」

 猛ったものを鎮めたければ体を離せばいいのに、涼はいつまでも離れてくれないまま、腕枕をして腰に腕を絡めてきて、そんなことを言った。

 ややこしい話……と考えを巡らせてみる。そして、なんだかんだ現在の状況とさほど無関係ではないテーマが思い浮かんだ。

「この森では食欲と睡眠欲が奪われているけれど、どうして性欲は奪われていないと思う?」

 涼はわずかに体をよじって「三大欲求な……」とつぶやいた後、なんでだろうなぁ、と何にも考えていないような調子でぼやき、椎奈の髪を指に巻き付けて弄び始めた。

 涼とこうやって戯れて過ごすようになってから、ふと疑問を抱いたことだった。文ちゃんに聞いたら大喜びで考えてくれそうなネタだと思いながらも、なんとなく聞きにくくてそのまま忘れてしまっていた。

「あれじゃねえか。食欲と睡眠欲は一人で完結するけど、性欲は相手が必要だ」

 涼が答える。

「ん?どういうこと?一人で完結する欲求は奪われているってこと?」

 面白い着眼点だと思って掘り下げようとすると、中途半端に興奮している男はなぜか突然怒った口調で言った。

「んなこと知るかよ。自分で考えろ」

「なにそれ!涼がややこしい話をしろって言ったのに」

「だからお前が話をするんだよ。俺はしねえ。聞くだけ」

 そう言うと涼は、椎奈の耳朶を食んで、耳元で「思いっきり小難しい話をしろよ。でないと最後までやっちまうぞ」と囁き、冗談とは受け取れない熱っぽさで首筋に吸いついてきた。阻止しながらも本気では抵抗していない椎奈の手に、涼の手が重なる。二人の理性を合わせないと流されてしまいそうだった。

 結局最後の一線を越えることはなかった。それはそれでよかった。こんな滑稽なやりとりが、肌を重ねてしまうことより愛おしくも思えていた。些かはしゃぎすぎていたのは、きっと考えたくないことを考えてしまわないためだ。

 来るべき時は確実に迫ってきていた。

 

 

 

 

つづき

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