*長編小説* 森の記憶

いつか失われる記憶の中で愛し合い、求め合い、精一杯生きる人たちの物語

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  *  *  *

  

 涼と椎奈を呼び出した二人の顔は、とても晴れやかだった。加山の表情はこころなしか大人びて見えた。

「お願いがあります」

 加山がまっすぐに涼の目を見て言った。

 二人の頼みはこうだった。配給はきちんと受け取るが、朝会では受け取らないことを許してほしい。石を飲む時には、みんなの前ではなく二人きりでいたい。

 生還する時には、二人きりで別れを惜しみたいということだろう。

「いいんじゃねえか」

 涼が右の口角を少しだけ上げて答えた。

「ただ……僕たちは二人とも玄武なので、配給の石を、二人になれる場所まで運ぶことができません。涼さんか椎奈さんに、お願いできないでしょうか」

 たしかに緑の石を遠くまで運ぶには、玄武以外の体に入れて運ぶしかない。涼も椎奈も喜んで引き受けた。ここまで来たからには何があっても最後まで二人で見届けるつもりだ。

「じゃあ今陣さんに預かってもらっている三個の石は、明日の朝会の後、明日の加山の配給と一緒に渡すってことでいいんだな」

 涼が尋ねると、加山は目を見開いた後、ほんの少しだが笑顔を作った。それは椎奈が初めて見る加山の笑顔だった。

「ありがとうございます」

 小さく頭を下げる隣でミドリも「涼ちん、ありがとう」と囁いた。

 二人の様子から、二人がこれまでに断った計三個の石を今ここで飲むことも覚悟していたのだとわかった。飲めば今この瞬間に生還してしまう可能性がある。それでもその覚悟を決めてきた二人に胸がつまった。

 涼はそれに気づいて二人に猶予を与えたのだろうか。これで少なくとも明日の朝会までは、二人は一緒にいることができる。

 朝会のタイミングは村に保護される新人に依存している。少しでも朝会が始まるのが遅ければいいと願わずにはいられなかった。

 

 

 どんなに願ってもその時はやってくる。

 朝会の後、椎奈は陣さんから緑の石を四個引き出した。

 村を出て四人で歩いた。これからあと何回こうやって四人で森を歩くのだろう。どちらかが生還するまでこれは繰り返されるのだ。

 どちらが先に生還して、どちらが後に残されるだろうか。前を歩く二人の背を見ていると、せつなさで胸がいっぱいになる。

 二人が顔を見合わせて立ち止った。加山の合図で椎奈は石を取り出し、加山に三個、ミドリに一個手渡すと急いでその場を離れた。涼と並んで二人に背を向けるようにして立つ。背後から話し声が小さく聞こえ、やがてあたりは静かになった。

 振り向くのが怖かった。二人とも残っていればきっと声をかけてくるはずだ。何も音がしないということはどういうことなんだろう。どちらかが残されていて、泣いてしまって声をかけてこられないのだろうか。あれこれ想像して、なかなか振り向くことができない。

 しびれを切らしたのか、涼がちらりと椎奈を見た。大きく深呼吸をしておそるおそる振り返る。

 そこには誰もいなかった。視線を慌ただしく四方に走らせる。

 あたりを見回す自分が、何かを見つけたいのか、それとも見つけたくないのかもわからない。涼も振り返ってあたりを見回した。

 ふいに椎奈の目があるものに留まった。近づいて拾い上げる。

 それはミドリの鉢巻だった。白いレースが施されたそれは、ミドリが結んだリボンの形を留めたままそこに残されていた。加山の姿はどこにもない。

――二人とも一緒に生還したんだ。

 安堵とやりきれなさが同時に椎奈を襲った。

 今この瞬間、二人はお互いの記憶を全て失った。

 出会ったことも、愛したことも、その存在すらも忘れてしまったのだ。

 二人は元の世界で仮にすれ違ってもお互いだと気づかない。奇跡的に知り合っても、また恋に落ちるとは限らない。椎奈はまだぬくもりの残る鉢巻を握りしめて、その場に膝をついた。

 相手を忘れてしまうことや忘れられてしまうことが怖くはなかっただろうか。愛した人と離れてたった一人で生還することが心細くはなかっただろうか。元の世界で相手が自分以外の誰かを愛する可能性を想像して、胸が切り裂かれたりはしなかっただろうか。なったに決まっている。ならないはずがない。

 その気持ちを乗り越えて生還していった二人の強さが、とても尊いものに思えた。その強さをくれたものは何だったのだろう。何が二人を支えたんだろう。

 二人がいた場所に一番近い木の枝に、ミドリの鉢巻を結びつけた。ミドリがしていたみたいに綺麗なリボンの形にしたかったのに、手が震えてうまくできない。すると後ろから手が伸びてきて、椎奈を後ろから抱くみたいにして涼が代わりに結んでくれた。

「へたくそ」

 涼が結んだリボンは、ミドリのそれとは程遠いヘンテコな形に仕上がった。涼は「うるせえ」と低い声で言って歩き出した。椎奈はもう一度だけリボンに手を触れて、白い背中を追った。

「色々ありがとう」

 隣に並んで呟いた言葉に返事はなかった。

 椎奈が今来た道を振り返ると、ミドリの白いリボンが揺れていた。

 ミドリの頭の上で跳ねていたみたいに、ふわふわと楽しそうに揺れていた。

 風が吹いていた。

 森にまた、人がやって来た。

 

 

 

 

 

つづき

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