*長編小説* 森の記憶

いつか失われる記憶の中で愛し合い、求め合い、精一杯生きる人たちの物語

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 すぐに紫音が涼に謝りに来たのだとわかった。朝会でみんなの前で謝罪はしたものの、椎奈は紫音に、同意なく石の数を教えてしまった人、そしてひどいことを言った人に対して直接謝るよう話していた。

 自分がいては謝りにくいだろうと、立ち上がってその場を去ろうとする椎奈を、涼が腕をつかんで引き留めた。

「ちょうどよかった」

「その……」

 二人の男の声が重なる。

「俺の石の数、教えろ」

「わ……悪かったよ!」

 二人は同時に言いたいことを言って、そしてまた同時に「は?」と聞き返した。

「なんだって?」

「なんだってじゃないよ! 僕はちゃんと謝ったからな! 二度も同じこと言わないからな!」

 紫音が顔を真っ赤にして怒る。

「謝った? 何についてだ? ありすぎてわからん」

「な……なんでもいいだろ! とにかく僕は謝ったからな!」

「お前なあ、謝罪ってのはただ謝ればいいってもんじゃねえんだよ。何についてどう悪いと思ってんのかをきちんと伝えて、初めて謝ったことになるんだ」

 紫音の透き通るような額に、みるみる青筋が立つ。

「うるさいっ!」

「お前それが謝る人間の態度かよ。まあいいや。なんでもいいから、俺の生還に必要な石の数、教えろ」

「お……お前こそそれが人にものを頼む態度かよっ!」

「それもそうだな。じゃ、教えてくれ」

 涼はまるで心のこもっていない態度で、ぺこりと頭を下げた。紫音の顔が、怒りでますます歪む。

「いやだ! お断りだ!」

 椎奈はこらえきれずに声を上げて笑った。

 二人とも自分勝手で、まるでかみ合っていなくて、でもなんだかそれはそれでいいコンビに見えておかしい。

「ちょっと二人とも、ちゃんと仕切り直して。ほら」

 椎奈は紫音を宥め、もう一度きちんと謝るよう諭した。紫音はいやだと繰り返していたけれど、やがてうつむいたまま「ひどいこと言って悪かった」と呟いた。

 涼はふんと鼻で笑い、「ガキの戯言で俺が傷つくとでも思ったか」と吐き捨てた。あんまりな態度だ。これでは紫音がかわいそうだ。

「はい、今度は涼」

 そう促すと、涼は顔を歪めて「俺の石の数を教えろ」とほとんど口を動かすことなく言った。

「教えてく、だ、さ、い」

 頭は下げなくてもいいと思うが、もう少し言い方ってもんがある。たとえ相手が年下でも、最低限の礼儀を以て接するべきだ。

 涼はチッと舌打ちすると、渋々「教えてくれ」と言い直した。

 紫音は涼を見て、そして椎奈に目を向けてきた。椎奈が微笑むと、色素の薄い瞳がちらりと上に動く。ちょうど涼の頭の上だ。

「言っていいんだな」

 紫音が確認する。

「ああ」

 涼がごくりと喉を動かした。

「……三百十五」

 無表情で紫音が言った。

「三百十五だよ」

 あまりの数字に、呼吸が止まってしまったかと思った。

 三百十五。

 ほとんどの人が十や二十で生還するのだ。椎奈の四十三ですら多いとされているのだ。

 それなのに、三百十五。

 まばたきもできなかった。体の動かし方も忘れてしまった。

「じゃあ。僕はもう行くからね」

 紫音がそう言って踵を返しても、顔を動かすこともできなかった。

「お、おい」

 涼が紫音を呼び止める声で我に返る。

「なに?」

 涼は頭を掻くと、紫音から不自然に目を逸らして言った。

「お前、村の一員になったんだったら、こいつに鉢巻作ってもらえ」

 親指で椎奈を示す。紫音の額の石は今もむき出しのままだった。

「いらない」

「村は人が多い。いつ手が間違って額の石に触れるかわからねえだろ。村にいてえなら鉢巻を巻け」

「なんだよ気持ち悪い。お前が僕を心配するなんて」

 顔をしかめる紫音に、椎奈は隣から説明してやった。

「きっと石の数を教えてくれてありがとう、って言ってるんだよ」

「は? なんだよ。素直じゃないな」

 形成逆転とでも言わんばかりに見下す視線で言う紫音に、涼は懐から端のほつれた布を取り出し、「でき上げるまではこれを巻いておけ。ほら、よく似合うぞ」と紫音の頭に勝手に巻きつけようとした。

「やだよ! そんなださいやつ! ふざけるな!」

 全力で嫌がる紫音の声が、晴れ渡る村に響き渡った。

 

 

 

 

 

つづき

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