*長編小説* 森の記憶

いつか失われる記憶の中で愛し合い、求め合い、精一杯生きる人たちの物語

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 涼と同じように、広樹も木々の間を迷いなく進んだ。何か目印でもあるのかとまわりを見回してみたが、それらしいものはやはり何もない。

「俺や涼がそばにいれば、『梟』は襲ってこないから大丈夫だよ」

 そんな椎奈の様子を、また襲われないか警戒していると勘違いした広樹が声をかけてきた。 椎奈が三人組に襲われたことを、広樹は涼から聞いて知っているようだった。守られている感じに、少し戸惑う。

 元の世界の人間関係は、もう少し「遠慮」という名の距離があった気がする。たとえ相手の利益になることでも、それを行動に移すのは若干の躊躇を伴う。でも遠慮なんて結局、安全が保障されているからこそできる余裕の現れなのかもしれない。この森はそんな遠慮をしている場合ではないほど危険な場所だということだろうか。

「ありがとう」 

 椎奈はあえて誤解は解かず、微笑んだ。

「『梟』って、何?」

 広樹の発言を継いで質問する。

「『梟』ってのは、簡単に言うと力ずくで人から石を奪ってる連中のことだよ。俺たちが村を作ってるように、連中もグループを作って『梟』って名乗ってる」

 あの三人組は「梟」というグループのメンバーだったようだ。

 この森には村の他にもグループがあるらしい。その名も「梟」。暗い森で目を光らせ、知恵と時に狡猾さを駆使し、確実に獲物を仕留めるイメージがたやすく浮かぶ。石を奪うためなら人を殺すことも厭わず、女と見れば襲うような奴らは最低だけれど、そのネーミングセンスは評価に値する。

 相手が「村」だから余計にそう思うのかもしれない。

 きっと額の石を守るツールもこんなださい鉢巻ではないはずだ。思い出してみれば、ピアスは額の石を晒していたが、他の二人はターバンとニット帽で額を覆っていた。きっとあれが鉢巻代わりだったのだ。心の底から羨ましく思う。

「梟も独自のルールで石を分配しているみたいだ。でも不満が多いのか、梟を抜けて村に逃げてくる人が結構いるんだよ。梟の連中は荒っぽいから本当に気をつけてね。森で一人になるのは絶対にやめた方がいい。何度かやり合って顔が知れているから、俺や涼、それから今は村にいる雄一郎さんっていう人と一緒にいれば絶対に襲ってこないよ」

 これまでもずっと涼や広樹は梟に襲われている人を助けてきたのだろう。森へ来たばかりで何の知識もない新人や、椎奈のような非力な女性は梟にとって格好の獲物だ。そんな人たちを守るために、体を張って何度もやり合ってきたのだ。

 さっき風が吹いた時の二人の過剰ともいえるほど敏速な反応を思い出した。そこには石を給料としてもらっているというだけでは説明のつかないものを感じた。

 乱暴な手段で石を奪う輩がいる一方で、自らの危険も顧みず身を挺して赤の他人を守る人もいる。なぜだろうと思うと同時に、これが人間というものなのかもしれないと思った。

 駅で人がうずくまっていてもすぐ横を平気な顔で通り過ぎるのも人間なら、川でおぼれた人を助けるために即座に飛び込むのも人間なのだ。この森で後者の人間に出会うことができた幸運を改めて感じた。

 だから安心してね、と椎奈をさらに気遣う広樹に誤解させていることがだんだん申し訳なくなってきて、

「そうじゃないの。きょろきょろしていたのは、どうして目印もないのに迷わず森を歩けるのかなって思ったからなの」

 と白状した。

 広樹は、ああ、と気まずそうに笑い、前方のやや上を指さした。

「あれを目指して歩いてるんだよ」

 見上げると、葉や枝が幾重にも重なって厚い層をなしている中に、一か所だけぽっかりと大きく口を開けている部分があった。そこだけ枝が取り払われ、光が差し込んでいる。

「あそこに村があるんだ。あれだと遠くからでもわかるだろ? 村も明るくなるしね。それからあっちも」

 今度は今までいた方向を示した。そこには村の上にあるものよりもはるかに小さいが、同じように光が差し込んでいる部分があった。

「あそこが今までいた岩のところ」

 言われてみればあのあたりは周りに比べ少し明るかったかもしれない。

「あの穴は、村の人たちがあけたの?」

「そうだよ。最近また枝が張り出して穴が狭くなってきてるから、そろそろまた取り払わないといけないな」

 広樹の発言に小さな違和感を覚えて、椎奈はおそるおそる尋ねた。

「……でもこの森では植物は成長しないんじゃなかった?」

 文ちゃんはたしかにさっき、植物は成長しないと言っていた。

「うん、確かに成長はしないんだけど、なんていうのかな……文ちゃんは、『森は常に元の姿に戻ろうとしている』って言ってる。俺たちが枝を取り払えばまた伸ばしてくるし、ほらこの道だってそうだよ。村と『岩』はこれまで何度も往復しているのに、一向に獣道ができない」

 広樹はそう言うと、足もとの草を束ねて一気に引き抜いて見せた。現れた地面に、根に引きずり出された土の塊が盛り上がる。

「こうしても、いつの間にか元に戻ってるんだよ」

 広樹は草を放り投げ、手についた土を音を立てて払った。

 そう言われるとその戻る過程を見ていたい気もしたが、広樹が再び歩き出したので後に続いた。

 

 

 

 

 

つづき

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