*長編小説* 森の記憶

いつか失われる記憶の中で愛し合い、求め合い、精一杯生きる人たちの物語

3

「いたいた」

「こっちにいましたよ! 早く早く!」

 二人はニヤニヤ笑いながら椎奈を見ると、後ろを振り返って大きく手を振り、誰かを呼び寄せた。

 二人のうちの一人は頭にヘアバンド型のターバンを巻き、黒い半袖Tシャツにカーキ色のカーゴパンツを履いていた。冷静なら、冬に半袖って寒くないのだろうか、と思っただろうけれど、状況が全く把握できずそんな余裕はなかった。

「早く!!」

 もう一人が跳ねて叫ぶ。ニット帽から明るい茶色の髪をのぞかせて、赤いタンクトップを身につけていた。

 二人の視線の先から、背の高い草をかき分けてさらに男が一人現れた。

「ワォ……女じゃん」

 最後に現れた男を見た途端、背筋にぞわっと悪寒が走った。思わず一歩後ずさる。 

「……そいつ……何色?」

 後から来た男が言う。十代に見えた最初の二人よりも少し年上のようだった。

 Gパンに白のTシャツ、その上にミリタリージャケットを羽織っている。右耳で鈍く光るやたらと大きな黒いピアスが椎奈の恐怖心をさらに煽った。おでこにも黒っぽい飾りをつけている。

「え……っと、『赤』っすね、『赤』」

 ターバンが椎奈の顔を覗き込んで答える。

――赤……? 

 眉間のあたりを見られた気がするけれど深く考える余裕がない。

「じゃあお楽しみは……俺だけ……ってことで。ラッキー……」

 ピアスが下衆な笑みを浮かべて言う。おかしな抑揚をつけた話し方が信じられないくらい気持ち悪い。顔色が悪く、常に口を薄く開いて、舌をチロチロ動かしている。絶対に関わってはいけない人種な気がして、椎奈はさらに後ずさる。

「いいなー!つーか結構かわいいし、殺さずに連れて帰りましょーよ!ダメっすか?」

 ピアスを全力で警戒していた椎奈は、ターバンの言葉に耳を疑った。

――殺……? 

 聞き間違いじゃないだろうか。ついに体が勝手に小刻みに震え出す。

「バカか……。今のうちの状況……わかってんのかよ……。これ以上『赤』増やして食いぶち増えたら……困るのは……お前らなんだ……ぞ」

「でも……」

「この女は……俺がぞーーーんぶんに楽しませてもらった後……ここで……石になってもらえばいいんだ、よ」

――石になって……もらう?

 会話の意味がまるでわからない。

 赤って何。石になるって何。

 どうやら椎奈が『赤』だから、この三人の男たちは椎奈を殺すつもりらしい。

 なぜ。どうして。さっきからわからないことだらけで、もう頭は限界だ。

 でも、今はどうでもいい。

 とにかく逃げた方いい。

 椎奈は震える手でコートの裾をつかんだ。

 こんな奴らに殺されるのはごめんだ。連れて帰られるのもごめんだ。お楽しみの相手をさせられるのもごめんだ。絶対に嫌だ。

 けれど逃げなくてはと思うほど、足は全く動かなかった。つま先から頭まで恐怖がとてつもない勢いで這い上がり、全身が震えて立っているのがやっとだ。

「震えちゃって、かわいそうに」

 ターバンが椎奈の目の前までやってきた。椎奈の腕をつかもうと手を伸ばしてくる。

「いやっ!」

 その手を思い切り払いのけた。そしてその勢いのまま椎奈は走り出した。

 こんなことなら天王寺の「護身術をお教えしますよ。そうだ、金曜の夜空いてますか?」という下心100%の誘いを断らなければよかった。「足が速くなる秘訣、伝授しましょうか。手取り足取り、丁寧に」という鳥肌ものの申し出もありがたく聞いておくべきだった。そうすればこの信じがたい状況でも何か手が打てたかもしれない。こんな奴らに比べたら天王寺の方が百万倍ましだ。

 天王寺のことを考えたらなぜか足に力が入った。思い切り地面を蹴って走る。

 けれどすぐに追いつかれ、コートの衿をつかまれて地面に仰向けに引き倒された。見上げた先には、にやついたターバンの顔がある。

「はい、捕獲」

 ターバンが椎奈にのしかかると同時に残りの二人も追いついてきた。三人ともほとんど息が上がっていないのに、椎奈の胸は恐怖も相まって激しく上下していた。

「おい……どけよ」

 ピアスが椎奈に跨っていたターバンを追い払い、かわりに馬乗りになってきた。固い骨が当たる。ものすごくやせた男だった。

 気持ち悪い。怖い。気持ち悪い。椎奈は激しく手足をばたつかせて抵抗した。

 相手は骨だけでできているみたいな体つきなのに、突き飛ばすことができない。それでも椎奈は手足を激しく動かして抵抗を続けた。

「お前ら……ぼー……っと見てないで押さえろ」

 ピアスの言葉にターバンとニット帽が椎奈の両側にやってきて暴れる手足を押さえつけた。もうこれではどこを動かすこともできない。

 すさまじい恐怖が腹の底からせり上がってきた。

 血流が一気に増して、体が火のように熱くなる。全身の末端がじんじんとしびれ、耳元に心臓が移動してきたみたいに鼓動がうるさくなった。目が内側から膨張しているように感じる。目の焦点がうまく合わない。前がよく見えない。恐怖で息がうまくできない。叫んで助けを呼ばなくちゃと思うのに息を吸いこめない。声の出し方がまるでわからない。

 男たちが笑っている気がする。ベルトを外すカチャカチャという音がしている気がする。でも心臓の音がうるさくて耳もよく聞こえない。ぶわりと目に涙がたまり、すぐにこぼれて流れた。

「やめて!」

 かろうじて絞り出した声も、ピアスの手で口をふさがれる要因にしかならなかった。

「――っ!」

 必死にもがいて声を出そうとしても、努力は全て無駄になる。スカートの裾のあたりに嫌な気配を感じた。

「よくしてやっから」

 ピアスが耳元で囁いた。チロチロと動く舌が、何度も小刻みに耳に当たる。

 嫌だ。気持ち悪い。思わず目をぎゅっと閉じると、目から押し出された涙が次々に耳に流れ込んだ。

――もうだめ……

 諦めかけた時だった。

 

 

 

 

つづき

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