*長編小説* 森の記憶

いつか失われる記憶の中で愛し合い、求め合い、精一杯生きる人たちの物語

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 小さい頃から運動は得意だった。運動が得意な男の子はモテる。しかも涼の場合、近隣の学区にまでその名が轟くほどのずば抜けた容姿も相まって、その人気は絶大だった。しかし当の本人は全く色恋に興味がなく、男友達と外で駆け回る方がうんと好きだった。女子はうるさいし怒るしすぐに泣くし、うっとおしいだけだった。

 とにかく体を動かしていないと気が済まず、空手、剣道、水泳、体操の教室に通わせてもらった。持ち前の運動神経ですべてたちまち上達した。どれも楽しかったが、中でも空手、剣道は高校受験を機に教室を辞めるまで熱心に通った。

 高校に入り、友達に誘われてキックボクシングのジムに通い始めた。これにもすぐに夢中になった。朝晩に走り込むのが日課になった。当然喧嘩となればすこぶる強いので、高校内のやんちゃな連中の諍いに巻き込まれたり街でからまれたりもしたけれど、あしらい方もうまかったので大きな問題になることはなかった。

 これだけ様々に体を鍛えても、涼の体つきはスリムだった。服の上からはまるでわからなかったが、その体には無駄なく鍛えられた筋肉がバランスよくついていた。

 無愛想をクールと読み替えられ、とにかく女にはモテた。何人かとつき合ってもみたが、さほど夢中になれずすぐに別れた。

 進学を考える時期から、漠然と俳優になりたいと思い始めていた。体を動かす仕事に就きたいと思っていたのと、その容姿を活かさないのはもったいないと周りから口々に言われていたからだ。自らアクションをこなせる演技派俳優になるのはどうかと考えた。

 担任は甘いと言って反対したが、両親は好きなようにやらせてくれた。一切金銭的援助を受けないことを条件に、高校卒業を待って上京した。アルバイトをして食いつなぎ、しばらくしてある事務所に所属することができた。しかし仕事はほとんど無く、オーディションにも合格しない。地元では評判だった容姿もこの特殊な世界では十人並みだった。演技の勉強もしたが、勉強ばかりで経験を積める場が与えられなかった。無愛想なことも災いして、謂れのない中傷を受けたりもした。やめてしまおうかと腐った時期もあった。

 それでも何年かもがくうちに少しずつ作品に出られるようになった。演技やアクションの勉強だけでなく、人脈づくりの大切さに気づいて動き出した成果だったかもしれない。笑顔の練習もした。愛想もふりまいた。どんな仕事も精一杯こなした。アクションがない作品でも喜んで引き受けた。小さな映画祭に出品されるような作品や、その子のファン以外誰が買うんだと思うようなしょうもないアイドルのDVDドラマにも出た。小さな作品では主役級の役をもらうことも出てきた。

 一緒に仕事をした人から、またやりたいと声がかかることが増えた。そんなことを繰り返しながら上京七年目を迎えた時、ついにゴールデンタイムのスペシャルドラマに出られることになった。二十五歳だというのに高校生役で、セリフも「すげえ」とか「先輩の彼女、モモンガに似てるっすね」とかいう頭の悪そうなものばかりだったが、主役にまとわりつく出番の多い役だった。エンドロールにも勿論名前が出るというので、すぐに両親に連絡した。

 待ちに待った放映の日、一人でテレビの前に陣取った。誰かと見るのは照れ臭かったので、一緒に見ようという仲間の誘いは断った。結果的にこれは正解だった。ドラマ終了後、すぐに実家の母から電話がかかってきた。「あんたどこに出とった?」と訊かれ、「知らん。別の仕事があって、まだ見とらん」とごまかした。

 涼はほとんど画面に映っていなかった。写ってもすごく小さかったり、顔の一部だけだったりした。涼がセリフを言っているのに、画面には主役の顔が映っていることが何度もあった。この作品をきっかけに注目を浴びる妄想を膨らませていただけに落ち込んだ。

 もう崖っぷちだった。二十五歳だ。地元の友人たちは、もうとっくに社会に出ている。それなのに自分は俳優として一応活動してはいるもののアルバイトを辞められない。まわりはどんどん一人前になっていくのに、自分はいつまでも半人前だった。

 当時の恋人ともうまくいっていなかった。つきあい始めた頃はよかった。懸命に支えてくれて励ましてくれた。どの作品も褒めてくれた。一番のファンだと言ってくれた。かっこ悪い話だが金銭的にも世話になった。けれど最近では、会えば結婚した友達の話ばかりされた。公務員って素敵。銀行員って素敵。俳優? だめだめ。っていうか、あなたって俳優だったっけ。……結局別れた。

 そこから三年間は無我夢中だった。もらった仕事を誠心誠意こなしながらも、待っているだけでは駄目だと自分から動いた。過去の仕事が縁で親しくなった年の近い監督とアイデアを出し合って企画を立てた。事務所を通して作品を作り上げた。一つや二つじゃない。とにかく数を打った。おかげで仲間も増え、経験も増えた。単館上映だったが主演作品もいくつかでき、ファンも少しずつ増えていった。

 そうしてやっと……やっとつかんだ大きな役だった。

 全国ロードショーの作品だ。事務所の後輩である最近売出し中のアイドルのバーターであることは言われなくてもわかっていたが、それでも嬉しかった。映画の主役は七人の侍で、涼はその侍のうちの一人……の腹心の侍役だった。セリフも両手では数えきれないほどあった。足の指も合わせれば数えられるが、それでも誇らしかった。何よりアクションができる。殺陣ができる。見せ場もある。それが嬉しかった。

 事務所が殺陣の教室に通わせてくれたが、自分でも時間とお金を割いて個人的に習った。すぐに殺陣の魅力にとりつかれた。ここでいい演技をして、いいアクションをすれば、多くの人の目につく。そこから道が開ける。自分でも信じられないくらい頑張れた。

 クランクインの日。その日は涼も出演するシーンの撮影から始まった。場所は都内の山奥にある神社の境内の一角だった。このシーンの殺陣の練習は十分に重ねてきた。必ずうまくいく。涼は並々ならぬ気合でカメリハに臨んだ。

 そこから先のことは、よく覚えていない。何かにつまづいて倒れ、後ろにはたしか灯篭があった。誰かが「危ないっ!」と叫び、それから……意識が途切れた。

 

 

 

 

 

つづき

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