*長編小説* 森の記憶

いつか失われる記憶の中で愛し合い、求め合い、精一杯生きる人たちの物語

22

 気がつくと、木々の間に横たわっていた。気を失っていたようだ。頭でもぶつけたんだろう。これまでにもアクションシーンで失神してしまうことは何度もあったので、大して慌てることもなかった。ただ不思議なことに、頭は全く痛くなかった。こぶもできていないし出血もしていない。失神するほどぶつけたのに、と自分の頑丈さに呆れながら立ち上がった。

 立ち上がってすぐに違和感を抱いた。あまりに静かすぎるのだ。まわりは木々が鬱蒼と茂っていた。現場もこのような雰囲気だったのでさほど離れてはいないはずだから、もう少し人の声や機材の音がしてもいいものなのに。もしかして置き去りにされたのだろうかと嫌な考えが頭をよぎった。

 どちらの方向に向かったらいいのかもわからず途方に暮れていると、突然背後に不穏な気配を感じた。咄嗟に身を低くして様子をうかがう。草陰から男が飛び出してきた。闇雲につかみかかってくる男を造作もなく取り押さえる。ひょろっとした若い男だった。

「なんだてめえ!」

 すごむと、男は「ひっ」と言って、腕で顔を覆ってがたがた震えた。意味がわからない。突然襲い掛かって来たくせに、驚くほど弱くて、しかも怯えている。

「誰だてめえは!」

 胸倉をつかんで揺すると、男がかぶっていた帽子がはらりと落ちた。男の額には親指の爪ほどの大きさの血がついていた。

「お前、ここ血が出てんぞ」

 額を示すと、男は「額の石には触らないで!」と叫んだ。

 石?何を言っているのかともう一度見てみると、確かにそれは血ではなかった。つるりとしたシールのようなものが貼られている。

「なんだこれ」

 触ろうとすると、男はまた何か叫んだ。ぎゃーぎゃーうるさいので、面倒になって男を放り投げた。男は大袈裟に咳き込んで、血走った目で涼を見上げてきた。

「あんた……強いな。組まないか?」

「は?」

「俺を守ってくれよ。そうしたらこの森のことを色々教えてやるよ」

 混乱する涼に、ひょろひょろの男は根気よく森や石の説明をした。

 男の話は到底信じられるものではなかった。もし男の話が本当ならば、自分は今意識不明の状態だということになる。目を覚ますためには、この森で石を集めなければならない。どう考えても騙されているとしか思えなかった。けれど額には、たしかに石が埋まっている感触があった。深く考えることは性に合わない。こうなったら何でもいい。とにかく石を集めればいいんだなと腹を決めた。

 意識不明になっている場合ではないのだ。所詮自分は代えがきく程度の役者だ。一刻も早く意識を取り戻さなければ役を外されてしまうに決まっている。それに自分が長く意識不明となれば、事故を起こした映画ということで作品自体に迷惑がかかってしまうだろう。それは避けたい。何が何でも早く石を集めようと思った。涼の額の石は青いらしい。青い石を集めるのだ。

 ひょろひょろの経験からすると、だいたい十から二十ほど集めれば生還できるようだ。急いで石を集めようと、とにかく森を歩き回って人を探した。ひょろひょろは、森へ来たばかりで何の知識もない奴を狙って奪うと楽でいいと言ったが、それだと相手を死なせてしまうことになる。それは嫌だった。だからすでに石をたくさん持っている奴からもらおうと思った。ひょろひょろは石を奪うとか騙し取るとかしきりに口にするが、自分の生還に必要のない石なら頼んだら分けてくれるのではないかと思った。

 ひょろひょろは「守ってくれ」と言ったが、絶対にごめんだった。話を聞いて、ひょろひょろが何も知らない自分を殺して石を奪おうとしていたことに気づき、腹が立った。説明させるだけさせておいて約束を守らないのは気が引けたが、不快なものは不快だった。だから勝手に行動した。ひょろひょろは後ろをついてきた。

 最初に会った奴に「石をくれ」と頼んでみた。まるで相手にされなかった。「後で必ずお前の色の石を返すから」と言っても鼻で笑われただけだった。

 くれ、と言うのはさすがに都合が良すぎるかと、ひょろひょろから白い石を一つ奪い、それを青い石と交換してくれと別の奴に交渉してみた。すると逆にその石を奪われそうになった。次の奴にも襲われそうになった。なんなんだ、ここは。みんな異様に殺気立っている。ようやく気の弱そうな奴と石を交換できたが、その後一向に石は手に入らなかった。

 人を襲って石を奪うのは嫌だった。自分を襲ってきた奴らのことは軽蔑していた。そんな奴らのようにはなりたくなかった。ひょろひょろはそんな涼を「甘い」と言って笑った。ひょろひょろは自分では何もできないくせに批判だけは一丁前だった。

 そうこうしていると、ある男に「石を賭けて勝負しないか」と持ちかけられた。どちらかがギブアップするまでとことん殴り合うのだ。ひょろひょろの話だと、この森では怪我をしてもあっという間に治るらしい。本当かどうか疑わしいが、たしかにこれだけ物騒な森で怪我をしている人間をあまり見かけない。それならばいいかと勝負に応じた。

 涼が負けるわけがなかった。

 

 

 

 

 

つづき 

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