*長編小説* 森の記憶

いつか失われる記憶の中で愛し合い、求め合い、精一杯生きる人たちの物語

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 どうしようもなく荒んでいた。もう石を飲み込む度に生還を期待することもなくなっていたし、生還した者を羨ましく思うこともなくなっていた。いや、本当はどちらも感じていたけれど、心がそれを受け入れることを拒否していた。期待すれば裏切られる。羨ましく思えば自分が惨めになる。そんな思いはしたくなかった。心はどんどん固くなり、とりつかれたようにただ石を集め続けた。

 そんな時、空手の道着を着て頭に赤い鉢巻を巻いている男に出くわした。一見して強そうだったが、顔つきは穏やかだった。男はなぜか涼の頭を凝視していた。

「残念だったな、ちょんまげじゃねえぞ」と言うと、「失礼」と不躾な視線を詫びて笑った。「奇天烈な格好だな」と道着をからかうと、「そっちこそな」とまた笑った。

 男は少しも涼を怖がらず、にこにこと笑みを浮かべて話しかけてきた。あろうことか涼の前で鉢巻を外して「俺の石は白なんだ。お前は青だよな。有名だから知ってる」と言った。涼の袖を断りもなく捲って「すごい数の石だな」と目を細めた。「俺も多い方だと思っていたけど、まだまだだな」と自分の腕の石を見せてきた。そこには、肘から下を覆い尽くすほどの白い石が埋まっていた。

 男は雄一郎と名乗った。涼より四つ年上の、明るくてよく笑う、飾らない男だった。雄一郎くらいの石の数の時の自分は、すでに荒れ始めていた。こんなふうに柔らかく笑ったりなんてできなかった。涼の冷え切った心に、ほんのわずかだが光が差し込んだ。

「一緒に村を作らないか?」

 雄一郎は涼に言った。

「村?」

「そう。この森では人は常に襲われる恐怖と隣り合わせだろ? そうやって怯えたり騙されて人間不信に陥ったりすることなく、みんなで協力し合って石を集められる村を作ろうとしている人がいるんだ。俺はその人に協力している。涼も力を貸してくれないか」

 胡散臭い話だと思った。理想を語るのはたやすいが、具体的にどうしたらそんな甘っちょろい考えでやっていけるというのか。それができるなら、たとえ生還のためとはいえ、自分はどうしてこれまでにあんなにも多くの命を奪ってしまったというのか。正直バカにされている気さえした。

 それでもその不信感も、雄一郎と一緒にいる時の心地よさには勝てなかった。雄一郎によって癒された気持ちは、甘い蜜のように涼を魅了した。

 もう嫌だった。常に周りを警戒し、人を脅して、時に殺して石を奪うことが。そんな自分に媚びへつらう、卑しい輩と接することが。

 逃れたかった。雄一郎のそばにいたかった。そのためなら、どんなに胡散臭くても構わないから村に協力してみようかと思った。藁にもすがる思いだった。もう疲れ果てていた。

 そんな涼のような人間のためにこそ村は作られようとしていることに、涼自身は気づいていなかった。

 村はまだ十人ほどしか人が集まっておらず、ほとんど機能していなかった。森の窪地にただ人が集まって固まっているだけの状態だった。

「よく来てくれたね。僕は『玄武の蒲田』と言います」

 村を作ろうとしているというその男は笑顔で涼を迎えた。恵比寿様のように垂れ下がった目と眉、そして大きな耳たぶを持った中年男性だった。

「玄武ってなんだ」

 そう尋ねると、額の石の色に合わせて、人を青龍、朱雀、玄武、白虎という名前で呼んでいきたいのだと男は説明した。まだ十人しか集まっていないくせに、なんておめでたい奴なのかと呆れた。

 今のところ雄一郎が森に出て村に人を勧誘し、蒲田さんが村のシステムを考案しているということだった。蒲田さん曰く、ある程度の人数が集まらないと村はうまく機能しないのだそうだ。

 自分は何をすればいいのかと尋ねると、腕の強さを活かして村の警備をしてほしいと頼まれた。村に集まる人々を襲ってくる奴らから守る仕事だ。今はまだ払えないが、ゆくゆくは一日一つ、石を給料として支払うようにするということだった。

 お安い御用だと思った。十人も人が集まっているのに襲ってくる奴らなんていないと思ったのだ。けれど涼の予想に反して村はすでに何度か襲われたらしかった。涼はここで、初めてしっかり村に集まっている人々の顔を見た。老人や女やガキばかりだった。考えてみればこんな胡散臭い村なんぞを頼ってくるのは、自分で石を集められないこんな奴らくらいなのだ。これならばたしかに襲われかねない。涼は警備の仕事を引き受けた。給料が出ないのは正直どうでもよかった。心はすっかり荒れ果てて、生還という目的を見失ってしまっていた。

 村を襲う奴らを何度か撃退するうちに、今まで涼を遠巻きに眺めていた村の人々が話しかけてくるようになった。うっとうしいので大半は無視した。やがて侍が村に加わったという噂が流れ、村は襲われなくなった。涼は暇になり、蒲田さんの仕事を手伝うようになった。

 蒲田さんは楽天的な人だった。どんな時もにこにことよく笑い、思いやりに溢れていた。元の世界では小さな会社を経営していたという。額の石を守る鉢巻からはいつも寝癖がはねていて、「いくら押さえても直らないんだよ」と首をかしげては笑っていた。

 蒲田さんのアイデアはいつも斬新だった。ある時涼は、木に登って村の上にある枝を全て取り払ってくれと頼まれた。なぜそんな面倒くさいことをするのか尋ねると、遠くからでも村がそこにあるとわかるようにするためだという。雄一郎は、村を離れる時は木に布をしばりつけながら歩き、それを目印に帰って来ていた。ヘンゼルとグレーテルのようなものだ。けれど時々布は勝手に外されてしまうことがあって、村の位置がわからなくなる危険があった。村の上に穴を開けておけば、雄一郎はそれを頼りに帰ることができる。涼はその作業を引き受けた。

 

 

 

 

つづき

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