*長編小説* 森の記憶

いつか失われる記憶の中で愛し合い、求め合い、精一杯生きる人たちの物語

27

 アキラは涼の下でしつこく暴れた。その手が何度も顔をかすめる。涼はアキラの両手をまとめて片手で押さえ込むと、体に乗り上げて体重をかけた。アキラがうめく。

「どういうつもりだ」

 見下ろして凄んだ。襲われる理由が全く思い当たらない。

「お前の石……」

 アキラの目に、涙が浮かんだ。

「お前の石をよこせ!その石があれば俺は生還できる。どうしても戻りたいんだ!彼女に会いたい!だからその石をよこせ!」

 意味がわからなかった。確かに涼の体にはかなりの数の白い石がある。けれどそれが欲しいのだとしても、涼を殺す必要はない。

「だからってなんで俺を殺そうとするんだよ」

「俺は……俺は白虎じゃない。青龍だ!お前の石を狙って村に入り込んだ。お前を油断させるために嘘をついて、今日までつきまとってたんだよ。全ては、お前のその青い石を手に入れるためだ!」

 涼は震える手でアキラの頭に巻かれたタオルを奪った。その額にはアキラの言葉通り、青い石が光っていた。

「ど……どうして……」

 涼は混乱し、思わずアキラを押さえつけていた手を離してしまった。その隙を見逃さず、アキラが素早く体を起こした。

 側頭部に鋭い痛みが走り、思わず目を閉じた。押し倒され、地面にせり出した木の根に頭をぶつけられたのだ。目を開けるとアキラが全体重をかけて涼に馬乗りになっていた。その目は血走り、口はわなわなと震えている。

「お前みたいな奴を……梟では何て言うか知ってるか。『ヤギ』だよ。お前みたいに石をたくさん持ってるくせにいつまでも生還しない奴を、梟ではヤギって呼んで、みんなで……殺すんだ。ヤギ一人の石で、何人もの人間が生還できる。尊い犠牲だよ。梟にいた時お前の噂を聞いて、驚いたよ。そんなに大量の石を持ってるくせに、のうのうと生きてる。毎日毎日給料だとか言って石をもらい続けてる。なんでだ。おかしいだろ。お前一人が死ねば、何十人て人間が助かるんだぞ。俺だって生還できる。あの日……俺は梟のリーダーにヤギだと宣告された。俺は必死に逃げて、そしてお前のことを思い出した。お前の石で、生還してやろうと決めた。だから、白虎だと偽って村に入り込んだ。お前を油断させて、襲って、石を奪ってやろうと思った。お前はヤギなんだよ!だからお前の石をよこせ!それで俺が代わりに生還してやるよ!」

 話す言葉とは裏腹に、アキラの体は怯えたように震えていた。

 不思議と怒りは感じなかった。涼は自分の腹の上で涙を流す男の手を取り、自分の額に引き寄せた。思った通り、アキラは抵抗した。

「ほら、触れよ。殺すんだろ?俺の石で生還するんだろ?」

 さらに強く手を引くと、アキラの抵抗も強くなる。

「お……お前が……」

 アキラの唇がわななく。

「お前がいい奴じゃなくて……よかった。お前は村でも嫌われ者で、俺にもいつもひどいことを言った。もしもお前が優しかったら、俺は……きっとお前を殺せなかった。お前が……嫌な奴で、本当によかった……」

 アキラの目からこぼれ落ちた涙が、涼の頬に落ちた。アキラの手が額に近づいてくるのを、涼はまばたきもせずに見守った。

「殺してやる」

 アキラの手は、額の石のほんの少し手前で何度も小刻みに震えた。

「お前なんて……死ねばいい」

 けれど、いつまで経ってもその手が額に触れることはなかった。

 当たり前だ。そう簡単に人など殺せるものじゃない。確かにさっき鉢巻を奪われた時なら殺されていたかもしれない。けれど勢いがそがれてしまった今はもう、絶対にできない。何人もの人間を手にかけてしまった自分だからこそ、そう確信できた。

「アキラ」

 落ち着かせようと、そう呼びかけた時だった。

 うわああああ!と突然アキラが叫び出し、手を大きく振り回した。予想外の動きに慌てて額の石を手で隠す。なおも暴れるアキラの手を払いのけようと、思わず手を出した。

 しまった、と思った時には、もう遅かった。

 指先に覚えのあるつるりとした感触が走った。

 次の瞬間、体の上に無数の石が降ってきた。

 青と白の石の雨。

 雨粒は涼の顔や体を叩き、バタバタバタとけたたましい音を響かせて散らばった。 

 ……耳が痛いほどの静けさが襲った。やがて自分の激しい息遣いが聞こえた。胸が大きく上下し、キラッと光る物が目に入った。無意識に胸の上の黄金色の塊を取り上げ、口に運んだ。

 けれどそれ以上は、動くことができなかった。気がついた時には無数の石は、全て跡形もなく消えていた。

 ……殺してしまったのか?殺して……しまったのか……!?

 それは、今まで味わった後悔の中で一番強いものだった。

 取り返しのつかないことをした

 こんなつもりじゃなかった

 信じたくない信じられない

 どうして

 どうしてこんなことに……

 気づいたら、泣き叫んでいた。獣のような声で喉が裂けるほど叫び、拳で何度も地面を叩いて体を掻きむしった。

 あんなに大切に思っていたアキラを手にかけてしまった。

 もう人を殺すことなんてないと思っていたのに、よりによってあの少年を殺してしまうなんて。

 頭の中に、ジャージ姿で自分に駆け寄ってくる少年が浮かぶ。涼さん涼さんと呼びかける声が響く。

 騙されていたという理由だけですぐに憎いと思えるほど軽い存在じゃなかった。本当に大切に思っていたのに。

 もういやだ。もうこんなところにいるのはいやだ。こんな思いをしてまで生き続けるなんて、もう本当にいやだ。

 いやだいやだと繰り返すうち、今度は声を上げて笑っていた。

 生きているのが嫌なら、アキラに殺されていればよかったじゃないか。石をくれてやって、アキラを生還させてやればよかったじゃないか。なのにどうして、あんなに生還したがっていたアキラが死んで、生きているのが嫌になった自分が生きているのか。

 もうどうにでもしてくれと思った。自分など死んでしまえばいい。もう疲れた。何もかもがいやだ。ただバカみたいに笑い続けた。

 

 

 

 

 

つづき

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