*長編小説* 森の記憶

いつか失われる記憶の中で愛し合い、求め合い、精一杯生きる人たちの物語

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「お前、寝てんじゃねぇだろうな」

 どれくらいそうしていたかわからなくなった頃、涼が呟いた。眠らないこの森で寝ているはずがないから、「そろそろどけ」と遠まわしに言ったのだろうと思って、「起きてるよ」と体を起こした。

「ならいい」

 すると力強い腕に、また体ごと引き寄せられた。

 今度は雑な手つきじゃなくて、しっかりと両手で抱きしめてくれた。思わず背中に手を回してしがみつく。大きな手の平が、まるで赤ん坊をあやすみたいに何度も背中に触れた。

 やっぱり優しいんだな、と思ったら、ふいにおかしくなって体を震わせた。

「なんで笑ってんだよ」

 それは椎奈が聞きたかった。さっきまで泣いていたのに。死にたいと思いつめていたのに。一体どうして笑えているのだろう。

 抱きしめられているという、ただそれだけのこと。

 けれどそれは、互いに腕を広げて腹を晒して、相手に身を任せるということだ。信頼がなければできない。身も心も預ける気持ちと、みっともない姿をも受け入れてもらえるという安心感がないとできない。

「加山にも、こうしてやればよかったのか?」

 真面目な声色で涼が呟いたので、加山を抱きしめる涼を思い浮かべて、今度は声を上げて笑った。そして答える。

「それは、涼の役目じゃないよ」

「……だな」

 涼も肩を震わせて笑った。

 そうだ。それは涼の役目じゃない。

 頭にはもちろん、桜色のワンピースの少女の顔が浮かんでいた。

 椎奈と同じ苦しみを抱える加山を救ってやれるのは、あの子しかいない。抱きしめて一人じゃないと思わせてやれるのは、あの子だけだ。

 椎奈にとっての涼がそうであるように、加山にとって最も信頼できるのは、自分を救うために村を出ることをも受け入れようとしてくれていた、あの少女なのだ。

 

 

 

 

 

  

つづき

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