*長編小説* 森の記憶

いつか失われる記憶の中で愛し合い、求め合い、精一杯生きる人たちの物語

47

 注意して見ていると、たしかにその子はいつも私の方をちらちら見ていた。私も気がつくと、その子の姿を探すようになった。なんであんなこと言ってきたんだろう。なんでいつも私のことを見てるんだろう。どうしてあの後一度も話しかけてこないんだろう。頭の中は、一日中その子のことでいっぱいになった。

 何日かして熊さんが私に話しかけてきた時、その子が突然やって来て、私の腕をつかんで引っ張った。あっという間に熊さんから引き離されて、私はびっくりした。

「ああいうことはやめた方がいいって言っただろう」ってすごく怖い顔で怒られた。

「私のこと好きなの?」って訊いたら、顔を真っ赤にして「そうじゃない」って言ったけど、嘘だと思った。私はおかしくておかしくて、その子のことがすごく気に入った。

 その子は加山という名前だった。加山がそんなに言うんだから、もう熊さんとエッチするのはやめることにした。

 全然覚えていないのだけど、私はあの日よりも前に加山と話したことがあるんだって。加山が村に連れて来られた日に、なんと私から話しかけたらしい。村を出ようとしていた加山に、私が「村の外は危ないから、そっちへ行かない方がいいよ」って言ったんだって。うーん。全然覚えてない。

 私は加山と一緒にいるようになった。加山と華ちゃんと私の三人で一緒に過ごすことも多かった。加山は最初は緊張してほとんど言葉を発しなかったけれど、だんだん打ち解けて話せるようになった。

 加山と二人で日向ぼっこをしている時だった。加山が「僕は自殺しようとしてこの森に来たんだ」と話し始めた。いじめにあって、生きていくのが辛くなって、今までに三度も自殺しようとしたんだって。話を聞いていて私まで辛くなった。途中から涙が出てきた。

 私は加山に、いいことを教えてあげることにした。辛い時こそ笑うといいんだよって。無理矢理でも笑顔を作っていると、なぜだか元気が出てくるんだよって。

 加山が「そんなことできないよ」と言ったので、私は加山の目尻に人差し指を、口角に親指をあてて、両手でぐいっとつまんで無理矢理笑顔を作ってやった。あんまり変な顔になったから、思わず笑った。加山は「やめろよ」と私の手を振り払って、きまり悪そうな顔をした後、こう言った。

「僕が辛い時はミドリが代わりに笑ってよ。そしたら……僕も元気になれる気がするから」

 そして、ちょっとだけ笑った。

 加山が初めて笑った! 

 私はすごく嬉しくなった。嬉しくてもっとよく見たくて、加山の長い前髪を横になでつけた。「鋏があれば切ってあげるのにな」と言うと、「このままでいいよ」ってまた笑った。

 その笑顔を見たら、胸がぎゅーっと苦しくなった。手で握ったみたいに心臓が小さくなって、息ができなくなって、泣きたくなった。それなのに、もっともっと加山の笑顔を見たいと思った。苦しくてもいいから、加山に笑ってほしいと思った。

 気づいたら「好きだよ」と言っていた。加山はびっくりした顔をして、体操座りをした膝におでこをごつんと乗せて、小さい声で何かを言った。

「何て言ったの?」と訊くと、「ま、また今度ね」と顔を真っ赤にして目を逸らした。本当は何て言ったのか想像できたけど、ちゃんと聞きたいからその「今度」を楽しみに待つことにした。

 加山はある日、おじいさんの肩叩きをしてもらった石で買ったと言って、私にワンピースをプレゼントしてくれた。桜色の綺麗なキャミワンピ―スだった。私はすぐに、来ていたパーカーとスウェットパンツから、ワンピースに着替えた。すごく素敵で、本当に嬉しかった。

 十一月の終わりの朝会で、熊さんが生還した。熊さんが消えた後には、緑と赤の石が残った。それを飲み込む時に、甘利さんが何か言って、前の方にいた男の人たちがどっと笑った。私は加山と後ろの方にいたのでよく聞こえなかった。「何て言っていたの?」と後から聞いても、誰も教えてくれなかった。

 熊さんがいなくなって、華ちゃんはすごく泣いた。華ちゃんはもしかしたら、熊さんのことが好きだったのかもしれない。

 熊さんが生還した翌日、華ちゃんと加山とおしゃべりをしている時だった。

 突然、華ちゃんのおでこの石が光った。鉢巻をしていてもわかるほど、強い光だった。

 驚いて目を奪われているうちに、華ちゃんの体が緊張したみたいに固くなって、そして突然霧のように消えた。赤い石が、地面にぱたぱたっと落ちた。

 何が起きたのか全くわからなかった。近くにいたおじさんが、すごく慌てた様子で「何をしている!早く石を飲み込むんだ!」って叫んだ。深く考える余裕もなくて、加山とただ夢中で落ちた石を飲み込んだ。他の人も集まって来て、みんなで飲み込んだ。

「華ちゃんは死んだんだ」と後から誰かが教えてくれた。「元の世界の華ちゃんが亡くなったんだよ」と。

 ものすごくショックだった。今までも村のメンバーが亡くなることは、朝会で発表されるから何となく知っていたけれど、こういうことだったとは思わなかった。

 おでこの石が光って、あっという間に消えてしまった。さよならも言えなかった。ありがとうって言いたかった。信じられないくらい悲しくて、声を上げて泣いた。

 華ちゃんが残した石を、腕から取り出して甘利さんに渡した。「この石は村のみんなに引き継がれていくからね」と甘利さんは優しい声で言った。

 村を見渡した。みんな鉢巻をしていて、誰が朱雀かわからない。

 華ちゃんの石は誰のものになるんだろう。その人は華ちゃんの石で生還するかな。なんとなくだけれど、よくおじさんたちがやっているギャンブルなんかに華ちゃんの石を使って欲しくはないと思った。

 加山はしばらく、ほとんど口をきかなかった。いつも何か考え込んでいた。私は懸命に笑おうとした。最初はうまく笑えなかったけれど、少しずつ笑えるようになった頃、元の世界は十二月になっていた。

 

 

 

 

 

つづき

目次