*長編小説* 森の記憶

いつか失われる記憶の中で愛し合い、求め合い、精一杯生きる人たちの物語

10

「ということは、もし生還した時や亡くなった時に周りに人がいなければ、その石は誰のものにもならずに消滅してしまうってこと?」

 椎奈の疑問に、文ちゃんはニヤッと満足げな笑みを浮かべた。

「椎ちゃん、いい着眼点だ。そう!それってもったいないと思うよね。過去にも同じように考えた人がいて、この問題を解決するために『村』を作ったんだ。僕らは今その村で暮らしているんだよ。村はすごいんだ。この森で誰もが徒に命を危険に晒すことなく、石を効率よく集めて分配するシステムを構築している。椎ちゃんにも是非僕らの村に加わってもらいたいと思っているんだよ!」

――村。

 予想外の言葉が出てきて、思考が停止した。

――村?

 まだこのややこしい石の仕組みを、完全には理解できていないと思う。その状態で「問題を解決するために『村』を作った」などと言われても、全くピンと来ない。

 そんな村に、椎奈に加わってもらいたいと文ちゃんは言う。

 信頼して大丈夫だろうか。何か見落としていることはないだろうか。何かを奪おうとしているんじゃないだろうか。

 さっきまでの文ちゃんに対する好意や石に対する興奮から一転、椎奈は疑心暗鬼に苛まれた。 

 身をぐっと固くした時、後方でカサッという音が聞こえた。驚いて振り返ると、話を終えた広樹と涼が戻ってくるところだった。広樹は岩から少し離れた木の根元に腰を下ろした。眉間にはじわりと皺が寄り、その腕は内に閉じこもるかのように固く組まれている。

 一方の涼は岩のそばまでやって来ると、文ちゃんの隣に腰を下ろした。右肘を岩につき、手の平に顎を乗せてぼんやりとノートのあたりに目をやる。

 涼の姿を見た途端、不思議なほど体の緊張がほどけるのを感じた。なぜだろう、涼がそばにいると思うとそれだけで安心する。

 文ちゃんは「僕ら」は村で暮らしていると言っていたが、涼も村のメンバーなのだろうか。それならばとりあえず村に加わってもいいかもしれない。涼がいれば危険な目には遭わないような気がする。

 文ちゃんはちらりと涼に目をやると、再び椎奈に向き直った。

「まあ、村の話はおいおいしていくとして、今は石を得る方法の説明を続けるね。四つ目の方法は『エ.対価として受け取る』。石を通貨のようなものだと捉えてくれればいい。例えば椎ちゃんが今膝にかけているコート。もし今後不要になるようなら、石と交換するのも手だよ。普通なら欲しがる人がいなければ交換できないけれど、村では共有財産としての石があるから一律買い取ってくれる。安心していいよ」

 石と物を交換する。なるほどそれならば確かに村を形成する意味がある。人が多く集まれば集まるほど多様な交換がなされ、石も複雑に移動することになるだろう。

「それから、まれに森に来る時に手元の物を一緒に持ってきてしまう場合があるのだけれど、椎ちゃんは何か持ってきていないかな。僕はこのノートとペンを持って来た。僕は雑誌記者なんだけどさ、ノートとペンは僕にはなくてはならないものだったから握りしめていたのかもしれないね」

 村の存在意義の一つに納得した椎奈は、素直に文ちゃんの言葉に従って自分の体を探った。何か元の世界から持って来た物がないだろうか。

 何もないかと諦めかけた時、膝にかけたコートのポケットから昨日買ったソーイングセットが小さな紙袋に入ったままの状態で出てきた。持ち運び用に買ったのでごく簡素なものだけれど、針が三本、糸も量は少ないが四色、三センチほどの鋏に、ボタンもいくつか入っている。包装を破って文ちゃんに見せると、満面の笑みを浮かべて喜んだ。

「裁縫道具か!たしか村にはまだなかったはずだよ。すごいよ椎ちゃん。出番はいくらでもあるだろうから貸し出したら喜ばれるよ。勿論レンタル料として石を取ってもいいしね」

 昨日買ってポケットに入れたままにしていた自分のだらしなさが功を奏した形だ。椎奈はもう自分が村に加わることが大前提の文ちゃんの発言に気づくこともなく、思わず顔をほころばせた。

「他にも様々なものの対価として石はやりとりされているんだ。細かいことは暮らしていくうちにわかっていけばいいけれど、仕事をするのも一つの手だよ。例えば僕がこうして新しく森にやって来た人――僕らは『新人』と呼んでいるんだけど、新人にこの森や石、村について説明をするのも村の仕事の一つなんだ。一日に石を一つ、給料としてもらっている。ちなみに涼や広樹は、森を巡回して新人を保護したり、襲われている人を助けたり、村の警備をする仕事をしている。涼も広樹も強いからね。石を狙って襲ってくる奴らを撃退して僕らを守ってくれているんだよ」

 涼が椎奈を助けてくれたのはそういうことだったらしい。まだ村の一員でもない椎奈を助けて、村から給料をもらっているということになる。つまりそうすることで村に人を勧誘しやすくしているのだろう。

 涼の方にちらりと視線をやると、さきほどまでと変わらぬ無表情のまま、ぼんやりと物思いにふけっている。

「その他に、村での臨時の力仕事や、村の共有財産の管理など仕事は色々あるんだけど、椎ちゃんも何か自分にできそうな仕事を見つけると生還が早く叶うよ。ここは人の入れ替わりが激しいから、すでにある仕事を覚えてその人がいなくなった時に跡を継いでもいいし、新しい仕事を自分で考えてもいい」

 なんだかわくわくする話だった。ここにも村を形成して生活する意義がある。人が集まれば需要が生まれ、供給すなわち労働が発生する。その対価として石を得るというのだ。

 石を通貨のようなものとして捉えると文ちゃんは言った。

 仕事をしてお金をもらうように、ここでは何かしらの自分の働きにより石を得る。そしてそれが生還につながる。

 石によって生還するということは、言ってしまえば石は命そのものだ。つまり石をやりとりするということは、命をやりとりするということになる。

 仕事をして、対価として石を得る。

 何かを提供して、対価として命を得る。

 それがどういうことを意味するのか、椎奈はまだしっかり考えることができていない。

 賢い文ちゃんが、村のシステムはすごいと言う。椎奈は徐々に村に興味がわいてきた。

 文ちゃんが話を進めていいかと目線で確認してきた。椎奈は迷わずうなずいた。

 

 

 

 

 

つづき

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