*長編小説* 森の記憶

いつか失われる記憶の中で愛し合い、求め合い、精一杯生きる人たちの物語

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「それにしてもこの六人はすごいね。みんなすごい数字!」 少年が六人の頭の上を舐めるように眺めた。そして椎奈の上で視線を止めると、まっすぐに人差し指を向けてきた。 「中ではお姉さんが一番少ないね。って言っても四十三個だから十分大物だけど」 椎奈…

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「それに俺は、その力は村に大きな利益をもたらすと思いますよ。だってみんな今、自分の生還に必要のない色の石をたくさん体に持ってるっしょ。それは『自分がいつ生還できるかわからないから』だ。あとどれだけの時間をこの森で過ごすことになるかわからな…

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「嫌な話だったな」 涼がゆっくりと振り向く。 「ううん、私が袖のこと言ったせいで……辛いこと思い出させた」 「いや、いつかお前には聞いてもらいたいと思ってたからな……」 それは、椎奈が特別な存在であることをにおわせる言い方だった。 そんな言い方しな…

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加山とミドリが生還してから、一週間が過ぎた。あれ以来、涼は椎奈のそばで過ごすことが多くなった。もちろん一日に何度も仕事で森に出て行くが、三日前に新人の大泉さんという警察官の男性が同じ仕事に就いてからは負担が減っているようだった。村にいる時…

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* * * 涼と椎奈を呼び出した二人の顔は、とても晴れやかだった。加山の表情はこころなしか大人びて見えた。 「お願いがあります」 加山がまっすぐに涼の目を見て言った。 二人の頼みはこうだった。配給はきちんと受け取るが、朝会では受け取らないことを…

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涼ちんはものすごく怒っていた。でも加山に「ほっておけるわけがない」「なんとかしてやりたい」って言った。やっぱり涼ちんは優しい。それは加山にも伝わったのか、そこで私は加山の本当の気持ちを知ることになった。あんなことを考えていたなんて知らなか…

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もうだめだと思った。これ以上答えを引き延ばせない。加山は追い詰められている。それは全て、私のせいなのだ。 思い切って椎ちゃんに相談した。でも加山の気持ちのことは黙っていた。私が本当に加山を好きならどうするべきか教えて欲しくて、「本当に好きっ…

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ある日、思いつめた顔の加山に、大事な話があると村の外れに呼び出された。 「僕の石を全てミドリに受け取ってほしい」 「……どういうこと?」 「僕は……生還したくない。この森で死のうと思う。死んだら、残った僕の石はミドリに受け取ってもらいたいんだ。ミ…

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注意して見ていると、たしかにその子はいつも私の方をちらちら見ていた。私も気がつくと、その子の姿を探すようになった。なんであんなこと言ってきたんだろう。なんでいつも私のことを見てるんだろう。どうしてあの後一度も話しかけてこないんだろう。頭の…

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* * * 辛いときこそ笑うようにしている。 だって笑うと元気が出てきて、辛いことも何とかなると思える。よく「悩みなんてなさそうだね」って言われるけど、私だって悩むよ。ただそんな時はあえて笑顔を作ると、たいていのことはどうでもいいやって思える…

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「お前、寝てんじゃねぇだろうな」 どれくらいそうしていたかわからなくなった頃、涼が呟いた。眠らないこの森で寝ているはずがないから、「そろそろどけ」と遠まわしに言ったのだろうと思って、「起きてるよ」と体を起こした。 「ならいい」 すると力強い腕…

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血のつながりに固執する義母や夫に、椎奈は結局何も言い返せなかった。そればかりか、やがて自分もその考えに染まっていった。 ただ純粋に子どもが欲しかっただけの椎奈の気持ちは、度重なる辛い出来事を経て、やがて異質に変容していった。 三者面談で、そ…

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結婚後、なかなか子どもができなかった。十組に一組が同じ問題を抱える時代と言われているが、不思議とまわりはどんどんできていった。二年以内に妊娠しない夫婦は、不妊症だと判断される。その肩書が椎奈のものになる日が、刻々と近づいていた。 毎月期待し…

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吐き気がした。うずくまってえずいた。一人茂みの陰に隠れ、何も出ないのに何度も繰り返した。 頭の中は思い出したくない記憶でいっぱいだった。どんなに振り払おうとしても無理だった。 死にたいと思った。 やっぱりだめなんだ。 生還から逃げないと決めた…

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――命をつなげられないあなたに…… 唐突に頭にある映像がよみがえった。それは何度も上から蓋をして、思い出さないようにしていた記憶だ。 上等なソファに腰かけて椎奈を正面から見つめる姿勢のいい女性。目を合わせられなくて、その赤いセーターの胸に光るカ…

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誰一人として口を開くことなく、薄暗い森を歩いた。不自然に静まり返った森に、四人の足音だけが響く。 やがて涼が立ち止まり、木を背にして腰を下ろした。片足を立てて腕を乗せる。その姿は限界まで膨らんだ風船のように、ほんのわずかな刺激で爆発してしま…

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翌日の朝会で、椎奈は前日の自分の不甲斐なさを激しく後悔することになった。 十二月十日の朝会は、いつも通り穏やかに始まった。五の倍数の日の朝会では、十九歳以上の大人にも配給がある。共有財産の石の数次第では全員に行き渡らないこともあるが、基本的…

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頼まれている鉢巻を作らなくてはいけないと思いながらも、何も手につかずぼんやりと村を眺めていると、ミドリがそばに寄って来た。ミドリには村に来た初日から懐かれていた。屈託のない笑顔であれこれ話しかけてくるミドリは、妹みたいでかわいかった。 「椎…

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涼が本気で加山に村を出て行けと言ったわけではないことくらいわかっていた。けれど頭と心は別だった。 自分が村を出て行けと言われたように思えた衝撃は、今も椎奈の心臓を激しく収縮させていた。 自分がたまらなく恥ずかしかった。そして自分のしている鉢…

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「てめえ何で配給受け取らねえんだ」 涼が静かな声で話し出した。 肘まで捲り上げられたチェックのネルシャツからのぞく加山の細い腕には、緑の石だけが埋まっていた。加山が時々細かく震えているのか、石は思い出したように光を映す場所を変える。俯いた顔…

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椎奈の鉢巻は村の圧倒的な支持を得た。特に女性は我先にと依頼を寄せ、椎奈は製作にてんてこ舞いだった。 大河、文ちゃん、涼のものの他に、これまでに五本の鉢巻を完成させた。鉢巻は緑二個、赤二個、白一個、青三個の石へと変わった。そのうち緑一個は雪乃…

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鉢巻製作の拠点に戻って物思いにふけっていると、「おい」と後ろから声がした。振り返ると涼だった。涼の声は低くて静かなのによく通る。本当は振り返らなくても声の主はわかっていた。 「あの人しゃべりっぱなしだったろ」 涼は椎奈の隣に腰を下ろした。特…

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「だからね、初めのうちはみんなにマッサージをして回っていた。もちろん石なんかもらわずに無料サービスよ。そうしたらね、また涼くんがやって来て『何かを提供したら対価として石を受け取れ』って怖い顔で言うの。私、腹が立っちゃって『私が石を受け取っ…

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涼の様子が気になったが、ともかく言葉に従って雪乃さんに会いに行くことにした。 黄龍の女性はたしか、朝会の時に前にいたはずだ。その記憶を頼りに、目当ての女性を見つけた。「雪乃さんですか?」と声をかけると、女性はふくよかな丸い顔をますます丸くす…

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村の外れの傾斜が緩やかな場所を、鉢巻製作の拠点にすることにした。針を扱うのであまり人のいないところにしたかったし、そこが村の中でもとりわけ日当たりがいいように見えたからだ。 椎奈はまず自分の鉢巻を作り始めた。裁縫セットには鼻毛を切るのにも苦…

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椎奈が微笑み返した時、村の中心部から「おー」という歓声が上がった。それをしおに「じゃ、村の警備があるから。またね」と雄一郎と大河が仲良く去って行く。大河は一度振り返ると、「鉢巻楽しみにしてまーす!」と大きく手を振ってきた。元気な子だ。 歓声…

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* * * 朝会が終わると、文ちゃんが駆け寄って来た。 「椎ちゃん!朝会どうだった?村のこと色々わかった?」 「うん!文ちゃん、村はすごいね。私、感動したよ」 文ちゃんは「よかった!これからよろしくね」と満面の笑みで椎奈の手を握って、ぶんぶん振…

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最初は自分の笑い声で葉が揺れているのだと思った。そんなはずないのに本気でそう思った。けれどすぐに風が吹いているのだと気づいた。 笑い声をおさめ、風の方向を見定めた。それは体に刷り込まれた行動だった。これまで幾度となく新人を探し、風が新人を中…

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アキラは涼の下でしつこく暴れた。その手が何度も顔をかすめる。涼はアキラの両手をまとめて片手で押さえ込むと、体に乗り上げて体重をかけた。アキラがうめく。 「どういうつもりだ」 見下ろして凄んだ。襲われる理由が全く思い当たらない。 「お前の石……」…

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その後、村には様々な人が加わった。 陣さんという四年も森にいる強者がやってきた時には、さすがの涼も言葉を失った。陣さんは黄龍だったため、村の共有財産の管理を頼むことになった。その後さらに甘利さんという黄龍も加わり、甘利さんが共有財産の管理、…